「日経ビジネスが描いた日本経済の40年」

【時代のリーダー】森泰吉郎・森ビル社長

「ス卜イックな強運」使命感と算盤が一体化 論語と経済学の“大家”さん

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2009年1月27日(火)

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先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1986年9月1日号より

 貸ビル業者から大規模デベロッパーへと飛躍を遂げた森ビル。そのオーナー社長、森泰吉郎はおよそ経営者のイメージからは程遠い存在だ。経済学者、公立大学教授という前歴に加えて、世俗的なものへの関心はみせず、ひたすら儒教者のような顔でビルを建て続けるその姿をみるからだ。虎ノ門の大家の息子として生まれた好運を禁欲的な使命感で補強した森は、今なお事業拡大の手を緩めようとしない。 =文中敬称略=

(持田 鋼一郎)

森 泰吉郎氏

森 泰吉郎(もり・たいきちろう)氏
明治37年3月1日東京生まれ、82歳。昭和3年東京商大本科を卒業し、関東学院高等部および倉高商の講師となる。昭和7年京都高等蚕糸学校(現京都工芸繊維大学)教授となる。戦後横浜市立大学に転じ、昭和34年同大学商学部長で退官。同年、31年に設立した泰成(株)を森ビル(株)に改組、社長に就任して今日に至る。

 「どの家も隙間だらけで、この町ではガス自殺ができない」といわれていた港区赤坂の古い木造家屋の密集地域が、生まれ変わった。

 「インテリジェント・ビルを超えたインテリジェント・シティー」と称される「アークヒルズ」である。総面積5.6ヘクタール、総事業費は約1000億円、計画から竣工まで十数年の歳月を要した。最先端機能を備えたホテル、オフィス、マンション、ホールが立ち並び、オフィスビルにはバンク・オブ・アメリカ、シェアソン・リーマン・ブラザースといった外国の銀行や証券会社が居を構える。東京の国際化を象徴する街といえるかも知れない。

 この民間ディベロッパーとしては史上最大の再開発計画を立案、推進したのが、虎ノ門界隈に林立する背番号ビルで知られる森ビルである。昭和31年に第1森ビルを竣工して以来30年の間に、森ビルの所有する賃貸ビルは73棟、賃貸延床面積は約100万平方メートルに膨れ上がった。貸ビル業の一切を手がける縦断的経営に専念して来たが、その業態も徐々に横断的に拡げつつあり、いまや三菱地所、三井不動産に次いで堂々不動産業界第3位の座を占めるまでに至っている。

 この森ビルを率いるのが今年82歳になるオーナー社長、森泰吉郎である。急成長企業、不動産業界という2つの言葉から浮かぶイメージは「精力的な仕事師」だ。だがそのイメージは実物を目のあたりにした時、ものの見事に崩れ去る。

 相当に「変わった」人物なのである。その素顔は「急成長企業の」という形容詞を外した上でもなお社長というイメージからは程遠い。

 どんな点が「変わって」いるのか。

 まず、どのような席でも和服を着て現れる。これには理由がある。数年前に心筋梗塞を病み、それ以来「心臓を圧迫しない服装を」ということで和服を愛用している。

無趣味、マジメ、面白くない男

 酒も飲まなければ煙草も吸わない。これといった趣味も無い。宴会の類いに出席し歌をうたうような機会は滅多にないが、やむを得ない場合には渋々ドイツ語でシューベルトの歌曲をうたって宴席をしらけさせる。三井不動産会長、江戸英雄の言葉を借りれば「よくあれで不動産会社の社長がつとまるなと思うほどのマジメ一徹な人間」、気のおけない友人の口を借りれば「面白味が全くない男」なのである。

 その「面白味の無さ」にとどめをさすのが森の話の内容だ。なにせ口を開けば「論語」の一節が飛び出し、それがようやく終わってホッとしていると今度はプラトンの哲学が始まる。俗人の立ち向かえる相手ではない。

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