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資本が作る会社か、人が作る会社かを見極めよ

山下亀三郎伝・8

  • 山岡 淳一郎

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2009年2月9日(月)

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(イラスト:茂本ヒデキチ)

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 1914年7月、サラエボでオーストリア大公が銃撃されたのを機に、欧州各国の軍隊は総動員を発令した。そのまま開戦。ドイツ、オーストリア、トルコ、ブルガリアの同盟国とイギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国による第一次世界大戦が始まった。

 日本政府は、日英同盟の義理をはたそうと連合国側につき、参戦を表明した。
 山下亀三郎は、戦火が欧州を覆ったと聞き、やきもきした。

 早耳の情報通らしく、「ここらで一発ドカンと始まりそうだ」と戦乱の臭いをかぎつけて、船腹を急拡大していた。短期間で社有船7隻、受託船5隻の12隻体制へ船腹を拡張していたのである。

 80~100隻規模の日本郵船、大阪商船には及ばないものの陣容は整った。戦争に船はつきものだ。欧州の商船は軍務にかり出される。あるいは戦乱を避けて港の奥に引っ込む。通商は第三国の船頼みとなるだろう……。日本は参戦したとはいえ、直接、本土が攻撃される怖れはない。

 亀三郎は、出番がくるのをいまか、いまかと待ち焦がれた。

 しかし、開戦と同時に世界経済は大混乱に陥っていた。肝心の通商が途絶したのである。真っ先に被害を蒙ったのが、国際金融だった。金融の中核であるイギリスの参戦は、国際取引を完全に麻痺させたのだ。

 それまで、日本の外国為替決済は、中国や東南アジア、米国に輸出した場合も、すべてロンドンで行われていた。基軸通貨はポンドである。輸入資金もロンドンで調達するのが常だった。

 ところが、戦争で欧州全土の交通網が寸断されたために、ロンドンで支払う手形の期限がきても、日本からの受取為替が届かない。為替がシベリア鉄道のどこかの駅で止まったままとなったのだ。ロンドン側は待てど暮らせど為替がこない。外国為替を専門的に扱う横浜正金銀行の各地の支店は、資金難に陥った。株価は暴落し、景気は落ち込む。

 山下は、抱え込んだ船もろとも沈んでしまうのか……と、蒼ざめた。

「他社の二割増し」の意味

 と、そのとき、山下が「天才」と賞賛してやまない鈴木商店専務の金子直吉が、「いっせい、買い出動」の大号令を発した。世間は「気でも狂ったのか」と直吉を嘲笑ったが、亀三郎は逆に勇気づけられた。神戸の山下汽船本社ビルは、もとは鈴木商店が使っていた建物だ。山下は金子と懇意にしていた。

 金子の買い出動は成算があってに違いない、と注目していると、株価は反転。一気に上がり始めたのである。船価と運賃は、天井知らずで上昇する。山下は、ここぞとばかり、大量に傭船し、欧州向けの軍需品の積みとりに当たらせる。あるいは船の転売で荒稼ぎをする。大戦バブルの到来であった。

 上げ潮に乗って、山下は学卒の優秀な人材を次々と採用する。

 将来の幹部候補生と目をつけたのが、京都帝大法科大学院を卒業した田中正之輔だ。末広博士の推薦で採ったエリート中のエリートだ。

 田中は、社船課に配属されると、いきなり傭船契約の作成から航海予算、燃料石炭の手配、積み揚げ荷の督励、海難事故に関する法的処理など、海運営業にかかわるすべての仕事を任された。見所のある若手には、裁量権を与えて実地で仕事を覚えさせるのが「山下学校」の流儀だった。「他社の二割増し」の給料で雇ったからは、応分の仕事をして当然、と亀三郎は思っている。

 鼻っ柱の強い田中も、スパルタ式養成法に応えた。大学院で磨いた法務知識を実践で使っている。社船課のエースとして飛び回りながら、「店童」の育成も手がけた。義務教育を終えたばかりの店童に「仕事は見て覚えろ」では、なかなか成長しない。時間とコストもかかる。田中は終業後に店童を集めて、実用的な法務知識、一般常識などを教え込んだ。この「田中塾」から、のちに田中自身が独立する際の強力な部下も養成されていく。

 さらに田中は、海運に携わる者は、たとえ陸上勤務でも泳げなくてならない、とカナヅチを集めて「水練場」を開設した。以後、山下汽船の「水泳大会」は社員の親睦と士気を高める大イベントとして定着する。

 社員が社員を育てる家族的な人材養成で、山下汽船は地力を蓄えた。亀三郎は、田中を高く買っていた。優秀な人材どうしを競わせ、勝ったほうをとり立てる。厳しい競争原理のもとに田中を鍛えた。

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