一つの世界で、頂点を極めることは難しい。
劇作家であり、演出家であり、自らも俳優を務める野田秀樹は、演劇の世界で、30年以上トップを走り続けている。
1980年代を席巻した劇団〈夢の遊民社〉を覚えているだろうか。76年に東京大学演劇研究会を母体として結成された〈夢の遊民社〉を主宰したのが野田秀樹だ。〈夢の遊民社〉は、「小劇場演劇第3世代」の代表として、常に注目を浴びる舞台を発表し、観客動員数でもトップを走っていた。
30年以上、トップを走り続ける
いわゆる「新劇」と呼ばれる大手の既存劇団のリアリズム演劇のアンチテーゼとして自由な演劇や舞台芸術が目指されるようになったのが、60年代。故・寺山修司などがその先駆けで、「第1世代」と呼ばれ、彼らの実験的で前衛的な舞台は、国際的にも評価が高かった。学生運動なども沈静化した70年代には、つかこうへいなどが活躍。観客動員数も大幅に増え、若い世代を中心に支持を得たのが、「第2世代」である。
それに続いた第3世代の中でも、〈夢の遊民社〉は、常に時代の寵児だった。
「野獣降臨(のけものきたりて)」で、岸田戯曲賞受賞(83年)。86年、劇団結成10周年記念の「白夜の女騎士(ワルキューレ)」「彗星の使者(ジークフリート)」「宇宙(ワルハラ)蒸発」の書き下ろし3部作一挙上演では、国立代々木競技場第一体育館に1日で2万6400人もの観客を集め、日本演劇界初の快挙と報じられた。
85年の科学万博つくば博での上演や、企業との提携や協賛を集めた大規模公演など、公演のプロデュースシステムでも、それまでの小劇場演劇の常識を覆し続けた〈夢の遊民社〉は、92年の解散までに、総ステージ数1205回をこなし、総観客数は81万2790人に上るという。
93年、俳優たちが所属する劇団というシステムを脱し、プロデュース公演を行う企画製作会社〈NODA・MAP〉を設立した野田は、ここでも次々と斬新な舞台を送り出し、いくつもの賞を受賞し、数多くの観客を集めている。
2007年に上演された「THE BEE」では、紀伊國屋演劇賞、毎日芸術賞、朝日舞台芸術賞、読売演劇大賞と日本演劇の主だった賞を軒並みに受賞し、読売演劇大賞では大賞のほか、最優秀作品賞、最優秀演出家賞、最優秀男優賞までも一挙に受賞した。
頂点を極めることは難しい。いわんやそれを続けることは。
30年以上にわたりトップを走り続ける野田秀樹の秘密は何だろう。
本当にいいと思って見てくれているのか?
演劇人・野田秀樹を振り返るならば、1992年の〈夢の遊民社〉解散へと立ち戻らざるを得ない。
観客動員数も落ちてはいない。人気絶頂とも言える時期の劇団解散には、当時、誰もが驚いた。
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