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「どんな仕事に就こうが耐えられる人間」を育てる

山下亀三郎伝・9

  • 山岡 淳一郎

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2009年2月16日(月)

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(イラスト:茂本ヒデキチ)

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 第一次大戦中の大景気が、いかに爆発的なものであったか。数字で表してみよう。

 まず、国内総生産は、大戦が勃発した1914(大正3)年から、わずか5年間で約3倍に増えている。年率25%の経済成長が5年続いたことになる。工業生産高は、同じく5倍増を記録した。

 超高度成長を支えたのは「輸出」だった。

 日本の産業界は、戦火が拡がる欧州に軍需品を中心に物資を送り出し、生産体制が崩れたイギリスに代わってアジアに綿製品を輸出する。綿を扱う鐘淵紡績(カネカ、クラシエ、カネボウ化粧品などの源流)は、輸出企業ナンバーワンの座を占めた。商社は、砂糖や小麦、豆類などの食糧を三国間貿易で欧州に運びこむ。日本の国際収支は黒字が続き、外貨保有高は一挙に6倍に増加。日露戦争の戦費調達で借金漬けだった日本は、一躍、債権国に変身した。

 もっとも、各国は「金」の流出を防ぐため金輸出を禁止しており、金本位制は停止状態。稼いだ外貨は「在外正貨」として海外の銀行口座にポンドやドルで積み重ねられた。日本の在外正貨は、国の一般会計予算の3~4倍の22億円にも達した。

 この輸出主導の大バブルを支えたのが「船」であった。

 ドイツの潜水艦Uボートは、地中海や大西洋で商船、軍船を無差別に攻撃し、「通商破壊」を行っていた。戦時徴用も含めて2700万トンもの船舶が、連合国側の通商の舞台から消える。船不足で大戦前はトン当たり3円だった傭船料が内地38円、欧州45円以上に急上昇した。船の売買価格たるや20倍の高騰だ。「船成金」が続々と誕生した。

 その最右翼に山下亀三郎は、成り上がったのである。

乳母日傘に暴れん坊が挑みかかった

 山下汽船の持ち船15隻、荷動きを読みながら不定期に投入する傭船は27隻。日本郵船、大阪商船の二大船社には及ばないものの浅野財閥の東洋汽船や三井物産船舶部と肩を並べる二番手船社に急成長した。山下は、しばしば、こう洩らしている。

「乳母日傘で育った良家の子女と違って、うちは暴れん坊がたくさんいて、頼もしい」

 「良家の子女」とは、政府の補助金という「乳母日傘」に守られた郵船や大阪商船の社員を指している。二大船社は、補助金つきの「命令航路」を担う代わりに運賃も政府価格に縛られていた。これに対して山下ら「社外船」と呼ばれる不定期「自由航路」の船社は、独力で市場を切り拓き、自らの判断で運賃を決めねばならなかった。

 平時は命令航路が圧倒的に有利だったが、大戦の勃発で立場は逆転した。しがらみのない社外船が自由に運賃を引き上げるのに対して、定期の命令航路は、一々、国の承認を取り付けねばならず、簡単に運賃を上げられなかったのだ。

 山下は、絶好調を維持しながら、次の一手を打った。いずれ戦争は終わる。平和が戻れば、港の奥に引っ込んでいた船が海に出てきて、船腹過剰になる。運賃も船価も下がるに違いない。「いまのうちに荒稼ぎをしておこう」と、船成金の多くがあぶく銭に狂っている間にシンガポール進出を決断したのである。東南アジアに大量の不定期船を投入し、港々に積み残されていた滞貨を片っ端から積み取る策に出た。

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牛島 信 弁護士