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【時代のリーダー】 飯田 庸太郎・三菱重工業会長

剛毅なセールスマン エアコンから戦闘機まで「一流」売らねば気が済まぬ

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2009年2月27日(金)

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先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1989年11月20日号より

 「威厳が三菱重工業の社長の条件としたら、私は不適格」。自ら三菱紳士のからを破ることを宣言してトップに就任して4年。強力な指導力で同社を見事に再浮上させ今年6月、会長に退いた。「お国には逆らわない」と三菱本流を意識しながら、重厚長大企業の変身の秘訣は、ショック療法だ。(文中敬称略)

(小嶋 健史・日本経済新聞産業部次長)

 8月2日朝、御殿場の三菱重工業富士研修所に白や黒のデボネアが次々と吸い込まれて行った。

 年に1回の最高戦略会議「経営審議会」のため、全役員ほか全国の事業所、研究所の所長らが顔をそろえた。総勢60人が1泊2日缶詰めとなり、報告・討論・社長の講評などを通じて経営の意思統一をする。巨艦・三菱重工の舵取りに不可欠な会議である。

ニュー三菱を引っ張る

飯田 庸太郎氏

飯田 庸太郎(いいだ・ようたろう)氏
大正9年2月25日生まれ、69歳。三重県出身。昭和18年東京帝国大学第一工学部卒、同年三菱重工業入社。48年原動機事業本部原動機第一技術部長、52年取締役原動機事業本部副事業本部長、56年常務原動機事業本部長、58年副社長、60年社長、平成元年6月会長就任。

 窓のない1階の大会議室には二重の円卓がある。内側の円卓には事業所長、研究所長ら若手がつく。外側の円卓で、壁のスライドの真正面に当たる席が社長の指定席。隣を会長、副社長が固め、古参組役員がぐるりと囲む。

 6月末、飯田庸太郎の後を襲って社長に就任した相川賢太郎にとって、自らの経営理念を社内に示す最大の場であった。この席で相川は(1)輸出競争力の強化と採算の改善策(2)人員を増やさずに事業を拡大させる方策(3)営業力・サービス力の強化策(4)新製品の事業化――の4つを主要テーマとして挙げ、出席者の知恵と議論を求めた。

 会議の終わりにマイクをとった飯田は過去4年間の社長時代を振り返り、「何とか全製品黒字化を達成できる見通しがついた。誠に御苦労様でした」と挨拶。続けて「利益を確保できるようにはなったがまだ物足りない。売上高の5%以上の利益は最低でも出せるよう頑張ってほしい」と注文をつけた。

 これを受けて9月末、三菱重工は売上高経常利益率の目標を5%から6.5%に引き上げた。優秀な人材と研究開発資金の確保をその理由に挙げているが、この方針決定には、三菱重工の再生から、さらに世界最強のメーカーへと飛躍を目指す飯田の意思が色濃く反映されている。

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