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【時代のリーダー】倉内憲孝・住友電気工業社長

9人抜き、実績より人柄 無欲で堅実な企業風土継承

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2009年3月17日(火)

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先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1991年10月28日号より

突出した実績は持たないが、抜群の人望を買われ、9人抜きで社長に抜擢された。
若いころから苦労を重ねてきたからか、人当たりが良く、しかもピンチに動じない。
業績の拡大と堅実な企業風土の維持。重い責任が小柄な人格者の双肩にかかる。

=文中敬称略(中川 貴雄)

 大阪市淀屋橋近くの住友ビル3階に住友電気工業の社長室がある。9人抜きの抜擢で、倉内憲孝は7月からこの部屋の主となった。だが、倉内の振る舞いは常務時代と変わらない。最高意思決定の場であり、自ら議事を取り仕切る第一常務会でも、ある役員によると、緊張したり肩肘を張っている様子は全くない。

突然バトンタッチ告げられ
「さてどうしたものかな」

倉内 憲孝氏

倉内 憲孝(くらうち・のりたか)氏
1936年神戸市生まれ、55歳。58年東京大学工学部電気工学科卒、同年住友電気工業入社。76年システム事業部東京システム部長兼技術部長、81年光開発事業部長兼研究開発本部通信研究部長、83年支配人、85年取締役支配人、89年常務、91年6月社長就任。

 社長(現会長)の川上哲郎に呼ばれ「自分の仕事を君にやってもらう」とバトンタッチを告げられたのは今年5月初旬。序列からすれば4番目の常務で、上に9人も役員がいる。そのうえ、川上は在任9年で任期半ば、交代があるとしても来年というのが大方の見方だった。そこへ突然社長をやれという。普通なら驚くところだろうが、倉内は落ち着いていた。「下手に反応すると怖いし、人事のことだからまた変わることもあるだろうと思ったので黙っていた」という。

 半信半疑のまま、その後海外へ出張、特に覚悟を決めるようなこともなかった。5月23日の決算取締役会の席上、川上が新役員人事を発表して社長就任が決定したが、その時の心境はと問うと「さてどうしたものかなと思いましたよ」との答えが返ってきた。

 社長交代には多かれ少なかれドラマが伴う。ところが倉内の場合は何のドラマもない。舞台は整っているのだが、当の役者は町内会長でも引き受けたかのように「さてどうしたものかな」と構えている。売上高が8000億円近い大企業のトップという責任に震えている風はない。鈍なのか大物なのか、とにかく動じない人である。

 この物事に動じない性格はピンチの時にいかんなく発揮される。並の人間なら音を上げそうな状況にあっても、一見鈍にも見えるタフな精神力で踏ん張るのが倉内の真骨頂である。この点を買われて、難しいプロジェクトの責任者を任されることが多かった。例えば米国での光ファイバービジネス。生産立ち上げの難航、特許訴訟に敗れての撤収など一連の厳しい局面を陣頭指揮して乗り切った。

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