• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「これくらいでおたおたするな。景気をさざ波で見てはいかん」
若手vs泥亀、山下汽船大分裂!

山下亀三郎伝:13

  • 山岡 淳一郎

バックナンバー

2009年3月24日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 1929年10月のウォール街の株大暴落が世界恐慌の始まりだとは、ほとんどの経済人が気づいていなかった。

(イラスト:茂本ヒデキチ)

 日本の財政当局者たちは「アメリカの景気がクールダウンするのもいいだろう。金利が低くなって借款をとりつけるのに好都合」といった反応を示した。

 だが、瞬く間に大嵐が襲来する。

 翌年1月、浜口雄幸内閣は大蔵大臣・井上準之助の強いリーダーシップによって、「金輸出解禁-金本位制への復帰」を断行した。

 これは、実質的には2割ちかくの「円切り上げ」を伴う荒療治だった。井上は、ふくれあがった無駄を緊縮財政でそぎ落とし、スパルタ式に日本経済を鍛えなおそうともくろんだ。

暴風雨を日本に呼び込んだ金解禁

 しかし円切り上げは、世界経済の嵐のなかで家の窓や戸を開け放つに等しかった。吹き込む暴風雨で日本経済はガタガタになる。繊維、紡績を中心とする輸出産業は、大打撃を受けた。

 円高と折からのデフレ策で、物価は二割、三割と下落する。農産品や生糸がまっさきに暴落した。信州や東北、北陸では農家の現金収入が途絶える。大都市では工場が閉鎖され、失業者があふれる。そこに世界恐慌が本格的に押し寄せた。

 この年、失業者は100万人を突破。失業者の群れが、東海道をとぼとぼ歩いて「都落ち」してゆく。落ちのびる先にも職はない。去るも地獄、残るも地獄であった。

 昭和恐慌が日本列島を覆うなか、山下汽船も、創業以来の危機に直面した。

 山下亀三郎が後継を託そうとしていた田中正之輔を筆頭に中堅、若手二十余名の営業部員が、いっせいに反旗をひるがえし、退社する意思を示したのである。屋台骨を背負う人材が、ごっそり抜けるかもしれない。大分裂か……。さすがの山下も不安に駆られた。

 かねて田中らは山下に「大福帳的経営を改めて、合理的にせよ」「海運部門の独立採算制を認めよ」「社内を民主化せよ」と要求していた。と、いうのも不況で船価、運賃とも暴落しているのに山下は不動産の購入や築港、埋め立て、鉱山、木材、保険と事業を広げていた。浦賀ドックで建造する船の資金にも手をつけ、別の事業に投資している。

 そのやり方が本業の海運を支える田中たちには歯がゆくてたまらなかった。メインバンクの第一銀行からも「人員整理」や「傭船料の値引き」を突きつけられていた。

後継者の反乱、「もはやオヤジひとりでやってきた時代ではない」

 「いまの山下汽船は、オヤジさんが一隻の古船をもって商売をしていたころとは違う。いまや、あの大戦(第一次大戦)の後の不況期、さらに昭和初頭の大恐慌をも切り抜けて、わが国にかつてない社外船の雄、大オペレーターとして雄、商船の向こうを張って、世界に押し出している。さらに、社内に人材雲のごとしとも言われておる。とはいえ、これを仔細にみれば、金銭的に底が浅い……」と田中正之輔は述べている(「日本海運うら外史 第一巻」八木憲爾著)。

 そして田中は、海運部門を独算制にして「オペレーター部門を切り離し、資本と経営の分離をして再出発すべき」と主張し、山下に経営の第一線からの退陣を迫った。世代間の大喧嘩を仕掛けたのであった。

 「これが通らなければ、辞める」と田中は腹をくくった。その裏には岳父から「カネを出してやるから、おまえらで船会社をしたらどうか」と、独立への誘いも寄せられていた。

 若手のクーデターに御大は手を焼いた。

 裸一貫から船主となり、会社を切り盛りしてきた山下にすれば、このくらいの不況でオタオタするな、と言いたい心境だった。日露戦後の大不況や第一次大戦後の株の暴落、関東大震災、昭和金融恐慌……と、あまたの苦境を乗り切ってきた。沈みつ、浮きつの連続だった。その都度、経済は循環する、景気には山あり、谷あり、と信念を強くしていた。

 底の底まで落ち込めば、やがてモノの値段も地価も船価もあがってくる。ぎりぎりまでじっと耐えて、景気の先を読めばよい。いま抱えている事業は、いずれ大きく花開く、と若い衆を諭そうとした。けれども、経営の近代化を唱える新世代は聞く耳をもたない。

 1930年7月、東京高輪南町の山下本邸で役員会が開かれた。
田中が「資本と経営の分離」を滔々と説く。山下は「景気循環論」で迎え撃つ。大勢は田中の意見に傾きかけたが、山下が押しかえす。

「景気をさざ波で見てはいかん。大きな波は、ゆっくりと押し寄せる。だから大儲けができるのだ。ここで慌てて、仕損じては世間の物笑いだぞ」

成金炎上 昭和恐慌は警告する

図、『成金炎上』の主な人物とその相関図

※『成金炎上』の主な人物とその相関図はこちら

単行本、「成金炎上」

 「ニッポンの1929」。百年に一度の危機に、私たちは、かつて来た道を再び歩むのだろうか。そして、最後に生き残るのは誰なのか? 日経ビジネスオンラインで好評をいただいてきた本連載が、大幅に加筆、新たな書き下ろしとともに再構成され、単行本として発売されます。

 「国を背負って金を獲れ」と雄飛した成金たちの活躍と黄昏、昭和恐慌、そして戦争に至る道を、「金ぴか偉人伝」の金子直吉、山下亀三郎、そして三井財閥の大番頭、池田成彬(いけだしげあき)、政界で財政を取り仕切った井上準之助の四人を軸に描き出します。我々は昭和恐慌から何を学ぶべきなのか、ぜひご一読下さい。

コメント0

「泥亀サバイバル~金ぴか偉人伝・2」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

意外なことに、伝統的な観光地が 訪日客の誘致に失敗するケースも 少なからず存在する。

高坂 晶子 日本総合研究所調査部主任研究員