
昭和恐慌の大津波が襲いかかるなか、山下汽船は中堅・若手幹部の大量脱退で創業以来の危機に直面した。
山下亀三郎に反旗をひるがえした造反組は、山下とライバル関係にあった勝田銀次郎(1873-1952 勝田商会創業者、のち神戸市長)が創設した太洋海運と連繋して大同海運を設立。不定期船のオペレーションに若いエネルギーを燃え上がらせた。
かたや山下は、八方ふさがりだった。荷動きは激減し、運賃は採算点を割り、海運市況は低迷したまま。係船が増える一方だった。
なんとしても経費を切りつめねばならない。山下汽船は、大阪から瀬戸内海一帯の中小船主から船を傭船(チャーター)し、配船、運航の管理で利益をあげていた。コスト削減には船を借りる際の傭船料の引き下げが必須だった。
山下汽船が取引する中小船主は、50社をかぞえた。亀三郎は、自ら営業部門の先頭に立ち、船主に頭を下げ、窮状を切々と訴えた。
大阪の船主たちは、大戦景気の余禄をしっかりと蓄えていた。
「おたくには、だいぶ儲けさせてもろうた。しゃあない。困ったときは、おたがいさまや。傭船料、負けときましょ。その代わり、調子がようなったら、また上げてくださいよ」
と、50社もの船主たちは山下の窮状に同情を示し、ことごとく傭船料引き下げをのんだ。メインバンクの第一銀行は、借入金の返済猶予を認めてくれた。山下汽船は、倒産という最悪の事態を免れる。日頃、亀三郎がコツコツ築いてきた人間関係という「資産」が、大きくものを言ったのである。
どん底状態を脱した山下は、1930年11月、日本興業銀行が運賃手形を担保に「船舶運賃資金貸出制度」を設けて資金枠500万円で貸し出しを始めるや、それを積極的に導入した。興銀の貸出制度は、ひょっとすると、政官界に太いパイプを持つ山下の献策で設けられたものかもしれない。水面下で山下が動けば、その程度は可能だっただろう。
山下は、興銀資金で豪州−アジア間の小麦輸送の積みとりにかかった。30年末から31年7月にかけて、日本内地はもとより、中国、インドへ運ばれる豪州小麦全100万トンの8割を山下汽船が積み取った。アジア海域に投入したのは、大阪、瀬戸内の中小船主の船であった。これを機に日本船は遠洋航路に大量進出し、欧州船が優勢だった極東市場を掌中に収める。海運不況から脱け出す道筋が、見えてきた。
大不況だって、ハラは減る
一息ついた山下は、刻々と変化する世界情勢をとらえ、大勝負に出た。その配船オペレーションは、こうだ。
まず、満洲(中国東北部)の大連から「大豆」を積んで、情報が集積する英国方面へと向かう。そして欧州で大豆を揚げ、空いた船倉に「石炭」を積み込んで、エジプトのアレキサンドリア、あるいは建国したばかりの王国・サウジアラビアのカジフへと運ぶ。さらに地中海、中東地域の「塩」を積みとって、ようやく帰航、というものだった。
この雄大な配船は、世界の政治、経済の動向に適応していた。
大豆、石炭、塩、いずれも戦略性を帯びた資源だったことが注目される。
当時、満洲大豆の総生産量は400万トンで、世界シェアの6割に達していた。その買い取りを巡って国境を接するソ連との間で何度も「大豆協定」が結ばれている。日本、ソ連、中国の軍閥と諸勢力が入り乱れて満洲大豆の争奪戦がくり広げられていたのだ。
日本は、満洲に権益を持つ南満洲鉄道(満鉄)を中心に大豆輸送の動脈を形成した。満鉄は、単なる鉄道会社ではない。満洲の重工業から貿易をもカバーする国策会社であった。
折からの大恐慌で、各国は、需要確保を優先し、ブロック経済化へと動き出していた。ポンド、ドル、フラン、円とそれぞれの通貨圏でのブロックが始動し、北米から欧州への食糧輸出にかげりが生じた。経済はブロック化されても人びとの胃袋は食糧を求める。
大連からの大豆輸送は、その間隙をつくものだった。
「ニッポンの1929」。百年に一度の危機に、私たちは、かつて来た道を再び歩むのだろうか。そして、最後に生き残るのは誰なのか? 日経ビジネスオンラインで好評をいただいてきた本連載が、大幅に加筆、新たな書き下ろしとともに再構成され、単行本として発売されます。
「国を背負って金を獲れ」と雄飛した成金たちの活躍と黄昏、昭和恐慌、そして戦争に至る道を、「金ぴか偉人伝」の金子直吉、山下亀三郎、そして三井財閥の大番頭、池田成彬(いけだしげあき)、政界で財政を取り仕切った井上準之助の四人を軸に描き出します。我々は昭和恐慌から何を学ぶべきなのか、ぜひご一読下さい。
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1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマとして、政治、経済、近現代史、医療、建築など幅広く執筆。福島県を中心に被災地と永田町、霞ヶ関を対比的に取材。4月初旬、『

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