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巨匠の60年、その始まりは失業だった

民俗写真家 芳賀日出男

  • 酒井 香代

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2009年4月10日(金)

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 戦後のおよそ60年間、そして今年米寿(88歳)を迎える今もなおファインダーをのぞき続ける写真家。それが芳賀日出男だ。

87歳の現役写真家

 「民俗写真家」の第一人者として誰もが認めるその業績から、20世紀の日本を代表する写真家と称えられ続けてきた。しかしその仕事のスタイルは、紫綬褒章(1989年)、勲四等旭日小綬賞(1995年)など数々の栄誉をよそに、実直そのものだ。

 カメラバッグと三脚を手に、たった1人で鉄道やバスを駆使し出かける。アシスタントはいない。アマチュア写真家に交じっての撮影でも、決して巨匠然とした態度は取らない。

 唯一とも言える趣味は、芳賀が「千ベロ」と呼ぶ、安価な居酒屋でのひとときだ。「千ベロ」とは、「千円でベロベロに酔っぱらえる」ことだと言う。

 芳賀の民俗写真家としての道のりはあくまでも地味で手堅い。

 1970年大阪。万国博覧会のお祭り広場で開催された、世界の祭りや日本の祭りを再現するイベントのプロデューサーという、一見華やかな経歴も、むしろそれまで芳賀が積み上げてきた知識や人脈に後押しされただけで、決して民俗写真家としての姿勢を変えることはなかった。

 「巨匠」と呼ばれてきた写真家には、多くの人が認める決定的な1枚がある。けれど、芳賀の作品に代表的な1ショットを探すことは困難を極める。むしろ、その集積と持続力で「巨人」となったのが芳賀だ。

 それ故、芳賀の写真家としての道のりをたどることは、1つの大きな仕事を成し遂げるための示唆に満ちているのではないだろうか。

民俗学との出会い

 1921(大正10)年、芳賀は中国大陸の大連に生まれた。技師だった父親の趣味がカメラであったことから、少年時代から撮影に熱中した。

 1939(昭和14)年、慶應義塾大学予科に入学。大学でも写真部に入部し、「ほとんど勉強などしなかった」芳賀の人生を決定づける出会いがあった。民俗学者・国文学者の折口信夫(おりくち・しのぶ 1887~1953)である。

 「写真ばっかり撮っていた」芳賀は、出席すれば単位を取得できるという噂で折口教授の国文学の授業を選択する。

 折口は、日本民俗学を樹立した柳田国男(1875-1962)に師事し、民俗学の研究を進めるだけでなく、国文学や芸能史研究などにも独自の視点を持ち、後に「折口学」とも呼ばれる学問体系を打ち立てた人物である。

 ある日の講義で、教授が口にした言葉が、後の芳賀のライフワークを築き上げることになった。

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