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【時代のリーダー】数納 幸子・医学生物学研究所社長

バイオベンチャー初の店頭公開をした 免疫に特化して粘り勝ち 優秀な研究者は外に出す

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2009年4月24日(金)

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先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1996年4月29日号より

細胞融合や遺伝子組み換えなどのバイオ技術をいち早く導入。
免疫分野に特化した強みを発揮する試薬メーカーに育て上げた。
行動力と粘り強さを武器に、バイオベンチャー初の店頭公開。
公開までは、資金調達での苦労を経験してきた。
経営のカギは人、研究者への投資は惜しまない、が信条。

=文中敬称略(橋本 宗明)

数納 幸子(すのう・さちこ)氏
1942年4月20日富山県生まれ、54歳。61年富山県立富山中部高校卒業、東京芝浦電機北陸支社入社。69年愛知県がんセンター研究所入所。72年日本福祉大学卒業、12月医学生物学研究所社長。趣味は読書。愛読書は司馬遼太郎などの小説。最近、ペースが落ちたが、それでも月3冊ぐらいは読む。 (写真:石河 行康)

 1996年2月2日。店頭市場に株式公開した医学生物学研究所の人気ぶりに、証券市場は沸いた。公開価格2390円に買いが殺到。4000円の初値がついた。「入札時の落札価格も予想以上だったが、この初値には正直いって驚いた」(証券アナリスト)。

 このとき数納幸子は認証式に出席するため、東京・茅場町の日本証券業協会にいた。相場の過熱ぶりを目の当たりにしたが、いたって冷静だった。

 「本音を言えばうれしかった。だが、公開できた満足感の方が大きかった」

 株式の公募によって会社が得た収入は約17億円。このうち7億円は、研究棟の新築や研究機器の購入にあてる。残りの使途は未定だが、「研究開発のスピードを上げる基盤技術を導入しよう」と数納は意気込む。

 「基礎研究用の試薬を購入してくれるのは、世界レベルで競争する研究者。世界に先駆けた製品を開発しなければ買ってもらえない」

 資金調達は苦労の連続だった。草創期のころ、低温室をつくるために名古屋市の保証協会の保証を取り付けて都市銀行に100万円の融資を申し込んだが、けんもほろろに断られた。担保を持たないため金融機関からの調達はあきらめ、中小企業金融公庫や国民金融公庫などの制度融資を調べ上げ、使える制度はすべて活用してきた。

 10年ぐらい前に、名古屋の富士カントリーのオーナーや、臨床検査薬への参入を狙っていたクラレがスポンサーに名乗りを上げるまでは、資金が必要になると友人や知人に出資を頼み、その都度、増資を繰り返した。株主数は公開前で既に100人を超えた。

 公開したことで資金調達の手段は増える。これまで出資してきてくれた人たちに恩返しもできる--。数納の心に、これまでの苦労が去来した。

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