• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

【時代のリーダー】槙原 稔・三菱商事会長

“世界の常識”を率先垂範 「日本の慣行」捨てて利益トップへ 三菱への忠誠心胸に国際化に賭ける

  • 日経ビジネス

バックナンバー

2009年5月19日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

先行きが見通しにくい2009年。困難な時代には新しいリーダー像が生まれるはずだ。これまでも企業経営や政治に新しい時代を切り開いたリーダーがいた。そんな時代のリーダーを日経ビジネスが描いた当時の記事で振り返る。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

* * *

1999年8月30日号より

総会屋の排除、含み損の一掃など、日本的な経営慣行を次々と捨てた。
国際標準化が進むなか、結果で「意外な人事」との世評を吹き飛ばす。
「英語を社内語に」など物議を醸す発言で「宇宙人」と呼ばれたが、
我慢強く調整役をこなし、義理堅く、友情に厚い和風な一面もある。
自ら“世界の常識”を示す羅針盤となり、三菱グループを導く。

=文中敬称略(菅野 武)

槙原 稔(まきはら・みのる)氏
1930年1月東京都生まれ、69歳。54年米ハーバード大学政治学部卒業。欧州、南米を遊学後、56年三菱商事入社。80年水産部長、83年業務部長、 86年取締役、米国三菱商事副社長。米国三菱商事社長などを経て92年社長に就任、98年会長に。「楽観的な性格。運が良いから、なんとなく物事がうまくいくと考えている」と自己分析する。 (写真:石河 行康)

 1992年、三菱商事の社長に就任した槙原に「意外な人事」という声が集中した。それまでの37年間のうち22年が米、英を中心とした海外勤務で、人脈も米国の方がはるかに広く、深い。三菱グループ首脳の中から「槙原ってどんなヤツだ」と声が上がったほどだ。妻が三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎のひ孫であることを取り上げ、「毛並みの良さで決まった」とまで言われた。

 しかし6年間の社長時代にその評価はかなり変わった。日本的な商慣行や経営の常識とされてきたことを次々と捨て去り、「商社厳冬の時代」で大手商社さえリストラに苦しむなか、商社では三井物産と並んで他を引き離し、2強の座を不動のものにしたからだ。

就任1年目で巨額の含み損一掃

 槙原は、「その時々で常識的に判断しただけ」と社長時代を振り返る。だが、彼の言う「常識」は「世界の常識」であり、ほかの経営者とは少し違いがある。槙原が社長を務めた6年間、広報部長を任された現取締役の稲井駿一は、「槙原さんが『世間』と言ったら『世界』のことだ」と言う。

 戦後間もない49年、マッカーサー杯の英語弁論大会で2年連続優勝した槙原は、ある司祭の勧めで成蹊高校を中退して米セントポール高校に留学、ハーバード大学に進んだ。学生、社会人を通じて米国での生活が長い槙原の目には、三菱商事、ひいては日本企業が当たり前と考えている経営慣行の多くが奇異に映った。その一つひとつを変えてきた。

 例えば、社長に就任した槙原はさっそく、特金・ファントラで合計680億円という巨額な含み損を特別損失に計上することを決めた。社長1年目の決算を悪化させると承知で膿を出した。

 売り上げ至上主義も捨てた。金貯蓄口座向けの金取引のように、見かけの売上高は大きいがマージンが極めて低い取引について、マージンだけを売上高に計上するように変えた。商社でトップだった三菱商事の単独売上高は一気に5位まで下がった。しかし、槙原は売上高を単独決算で比較しても意味はないと考えていた。

コメント0

「日経ビジネスが描いた日本経済の40年」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授