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「先輩は野心がないのですか?」

2010年3月12日(金)

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 「先輩は野心がないのですか?」とあきれ口調に後輩に聞かれた、と、知人男性が憤った口調で私に嘆いた。

 その知人とは、時代劇で長年にわたりカツラを作り続けている“床山”という職人だ。

 「野心ってなんや」とまだ怒りが冷めやらないようだった。思うに、まだ経験浅い床山さんが抱く野心があるとすれば、「より高い利益に繋げるにはどうすればいいか」とか「もっとこの仕事を多様に展開できないか」とか「一般に普及できないか、世界に勝負できないか」という思惑だろうか。これらはどの職業にも共通する発想だろう。そんな野心的発想になんら抵抗のない私は、彼のその怒りが瞬時には理解できなかった。よくよく話を聞いてみることにした。

 「僕はただカツラを作ることだけを考えて生きている。野心とかそんなことは考えない。朝、誰よりも早く職場に入り、誰よりもちゃんと準備を整え、そしていいカツラを作る。それだけだ。そんな僕を後輩は、野心がないのか、という言い方をした。じゃあ、後輩の誰が早く職場に入り、誰が目の前の仕事に真剣に向き合っているのか。野心を言うまえに、まずちゃんと今の仕事をやってみろよ。今の若い奴は学ぼうとする前に、野心という欲に浮ついてしまっている。そして野心を持たない僕をあきれている。だから腹が立つ」ということだった。

 ここまで聞いてようやく、その男性の怒りが私は理解できた。職人的労働を自ら選びながら、職人的であることを見下す後輩に対する怒りだ。その後輩にしてみれば、淡々と同じ労働をする先輩の姿に思わず「野心はないのか」と問うてみずにはいられないほど、未来への不安があったのかもしれない。

 それくらい“成功”への憧憬が“野心”を正当な人間の心のあり様として位置付ける。そういう人には野心がないことのほうがびっくりすることなのかもしれない。

 では、野心のない人は何をモチベーションに働いているのか。それは仕事の喜びだと思う。いかにその役者が生き、見栄えのするカツラを作れたか。カツラを乗せ、「よし」と自ら思える瞬間、それは至極の喜びだろう。それは私もまた床山さんとの仕事をした経験から感じてきたことだ。それはメイクさんでも、ヘアさんでも裏方さんたちに共通した一瞬だ。野心家には愚直に同じことを続けているとしか見えない光景かもしれないが、その真剣さと、満足した時の目の輝きを知る者には、“野心”はただの雑念にも映る。

 ビジネスに勝ち負けが死活問題になって以降、“野心”は万人の働く人にとっての当然のモチベーションだろう。だが、野心家的発想は、彼らの願う未来をもたらしてくれるのだろうか。

 銀座に何泊かする機会があり、数々の店に行った。ひとつの店舗がビルにまで展開したものを見ると、その経営者の野心が見える。だが、私が予約しようとした「明治時代から変わらぬ料理を出す洋食屋」は予約が取れなかった。飛び込みで行ってみると小さな店だった。これはすぐ満席になると納得した。そして、なぜこれほどの人気なのに店舗を大きくしなかったのかとも思った。

 また、雑誌に載っている老舗の和菓子屋に行った。昼に行ったらもう店の入口に「本日は売り切れ」の表示があった。小さな間口のささやかな古い店構えだった。また、別の和菓子屋に行くと、なんとも飾り気のない昔ながらの素朴な和菓子が地味に売られていた。こんな商売のやり方で、この銀座の家賃が払えるのかと驚いた。これも見逃すほどの小さな店だった。

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「「先輩は野心がないのですか?」」の著者

遙 洋子

遙 洋子(はるか・ようこ)

タレント・エッセイスト

関西を中心にタレント活動を行う。東京大学大学院の上野千鶴子ゼミでフェミニズム・社会学を学び、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』を執筆。これを機に、女性の視点で社会を読み解く記事執筆、講演などを行う。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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