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坂田 亮太郎(さかた・りょうたろう)

日経ビジネス副編集長

坂田 亮太郎

1972年東京都生まれ。96年東京工業大学生命理工学部卒業、98年同大学大学院総合理工学研究科修了(バイオサイエンス専攻)。在学中に研究者に向いていないと自覚し、小さな頃から憧れていた記者になることを決意。98年に日経BP入社。まずは大学の専攻通りにバイオ専門誌「日経バイオテク」配属、2004年から「日経ビジネス」記者。製薬・化学・食品・素材・精密など製造業を中心に取材した。2009年3月より北京語言大学に社費留学し同年9月に北京支局長に就任。2013年から上海支局長。約5年間の中国赴任を終え、2014年4月より日経ビジネスに復帰。2015年4月より現職。

◇主な著書
徹底予測 中国ビジネス2013』(日経BP) 2012

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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 月日が流れるのは早いもので、中国赴任を終えて5年ぶりに日本に戻りました。美味しい日本食が毎日食べられるようになって、苦労して減らした体重がリバウンド中。せっかく空気のキレイな日本に戻ったのですから、運動を再開しなければと思うこの頃です。

 気が付いてみたら身の回りにApple製品で溢れ返っている。「iPhone」に始まり「iPad」と「iPadmini」まで手に入れた。仕事で使うPCも「MacBook Air」に切り替え、ついに自宅には「iMac」の27インチモデルまで投入した。これでしばらく買う物はないだろう。テレビぐらいはお付き合いしたとしても、家までは出すまい。大丈夫…なはずだ。

キーパーソンに聞く

ワコールが京都駅前に「学びの場」を開いた理由

2016年12月27日(火)

 ワコールは2016年10月、京都駅八条口近くに「ワコールスタディホール京都」をオープンした。「美的好奇心をあそぶ、みらいの学びの場」をコンセプトに、スクール事業を始めた。京都駅から徒歩7分という好立地にありながら、なぜ自社製品の売り場にしなかったのか。スマートフォンなどを介したオンラインマーケティングが全盛の今、あえてオフラインで顧客接触に取り組む理由は何か。本プロジェクトのプロデューサー コミュニケーションディレクターの鳥屋尾優子氏に聞いた。

(聞き手は坂田 亮太郎)

なぜ今、ワコールが常設の「学びの場」を開設したのですか。

鳥屋尾:「ワコールスタディホール京都」は「美」をコンセプトにしています。美しさというものを多角的に学ぶための場所です。そのために多様な美をここに集積して、みんなが触れられたり、互いに学びあったりできる場所を作りたいという思いが発端になっています。キャッチフレーズは「美的好奇心をあそぶ、みらいの学びの場」です。

鳥屋尾優子(とやお・ゆうこ)氏
ワコールスタディホール京都プロデューサー コミュニケーションディレクター。京都府出身。ワコール入社後、財務部門を経て広報室でワコールのPR誌の編集に従事。その後、ワコールホールディングス、ワコールのマスコミ対応窓口、PR企画立案・実行部門のマネジャーを務めた後、2016年4月より現職(写真:水野 浩志)

「知的」ではなく、「美的」好奇心を満たす場だと。

鳥屋尾:このキャッチフレーズは、私たちが実現したいことを的確に言い当てていると思っています。ここに来てくださる方と美的好奇心を刺激し合って学んでいく。そんな場にしようということで、この施設は生まれました。

 「ワコールがなぜ『美』なのか」とか「下着メーカーが教育事業をやる意味があるのか」と疑問を抱く方もいらっしゃると思います。その答えは、ワコールの経営理念にあります。少し長くなりますが、ご説明させていただきます。

 ワコールは、「世の中の女性に美しくなってもらうことによって広く社会に寄与する」ということを経営理念に掲げています。世の中の女性が美しくなってもらうだけじゃなくて、女性が美しくなることで広く社会に寄与するということが理想であり、目標なんですね。ここがミソだと思っています。

ゴールは広く社会に寄与することであって、女性が美しくなることは手段に過ぎないということですね。

鳥屋尾:そうです。なぜそのような理念を掲げたのか。それは創業者である塚本幸一の戦争体験に起因します。

 戦争が終わった時、50人以上いた自分たちの小隊は3人しか生き残れませんでした。3人で船に乗って日本に帰って来たとき、塚本は「自分は1回死んでいる。だからこの命は生き残ったのではなくて、生かされている」というふうに思ったそうです。

 京都駅にたどり着いて塚本は、平和というものを実現するには、どんな世の中を作ればいいのかを考えました。その瞬間、世の中の女性が美しさを謳歌する時代こそが平和の時代だというふうに思ったんですね。戦争の時代、女性が美しさを追い求めることなんて、できなかったわけですから。

戦時中、特に女性は嫌な思いもたくさんされたんでしょう。

鳥屋尾:塚本は京都に帰ってきたその日から動き始めました。ただ、当時、繊維製品は政府が統制していたので、なかなか自由に扱えるものではなかった。そこで模造真珠を卸して販売したり、木製のバッグの取っ手、ブローチ、そしてヘアピンというようなものを行商したりしていました。そして3年後に、ワコールが下着を作り始めるきっかけとなった「ブラパット」に出会いました。

鉄製のカップに布をかぶせた「ブラパット」。日本女性の装いが和装から洋装へ大きく転換していった時代に大ヒットした(写真提供:ワコール)

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