小川 敦生

小川 敦生

多摩美術大学美術学部芸術学科教授

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 文字を書くのが専門のはずだが、iPadのお絵かきアプリで猫だかねずみだか分からないような下手な絵を描き始めたらとまらなくなった。知り合いに見せて「画伯」と呼ばれるようになり、調子に乗っている。最近は恥ずかしげもなく教えている美大生に見せたり、図柄を印刷したTシャツを着るなどして喜んでいる。

 絵を描き始めて気づいたのは、これまでいかにクリエイティブな絵をたくさん見てきたことかということ。おかげで例えば単に猫をそのまま描くようなことに満足ができない。猫が宇宙に飛び出したり、ライオンの真似をしたり、地下組織「猫の穴」から抜け出してきた「ニャイガーマスク」になったり。絵は下手なままだが、クリエイティブな発想が生活を豊かにすることを、身をもって知るようになった。(作例は「にゃいおりん2」)

小川敦生のあーとカフェ “音”で鑑賞者の情感に訴えた尾形乾山の絵画

  • 2018年04月28日(土)

 絵と書が同じような掛け軸に仕立てられたり、同じ画面の中に両者が同居したり。絵と書は、日本美術の歴史の中ではとても近しい関係にある。日本語は漢字とかなを混ぜて書くためもともと文章自体が見た目の変化に富んでいることや、明治に入るまで活版印刷が普及せず、書でも筆を使って比較的自由なレイアウトで表現してきたことなどが関係しているのだろう。

 根津美術館で、その興味深い例に出会った。作者は、17~18世紀に京都を中心に活動した尾形乾山。同館では「光琳と乾山」と題した企画展が開催されており、兄・尾形光琳の《燕子花図屏風》(根津美術館蔵、国宝)などと一緒に、これまであまり見る機会がなかった乾山の絵画作品が多数出品されていた。

尾形光琳《燕子花図屏風》(18世紀、根津美術館蔵、国宝)展示風景。「八橋図」から木橋を除いてカキツバタだけを残したともいう

 乾山は、どちらかといえば画家としてよりも陶工として名高い作家だ。「乾山」という号も、京都に設けた窯の名前から取ったという。野口剛・根津美術館学芸課長は、「享楽的で派手な傾向の光琳に比べると地味を旨とし、文人のようなあり方を好んだ」と話す。

 《八橋図》(文化庁蔵、重要文化財)で乾山は、川にかかった風雅な木橋と水中から生えて花を咲かせたカキツバタを描いた余白に、風雅な文字をしたためた。平安時代の文学作品『伊勢物語』第9段「東下り」の一場面を描いた「八橋」は、兄・光琳も手がけた画題。主人公の在原業平が京都からはるばる三河国(現在の愛知県知立市)を旅して訪れた、地名の由来となったと見られる木橋のある風景が描かれている。そして乾山のこの作品では、業平が詠んだ次の和歌が画面上部を埋めている。

尾形乾山《八橋図》(18世紀、文化庁蔵、重要文化財)展示風景

 唐衣(からころも)/きつつなれにし/つましあれば/はるばるきぬる/たびをしぞおもふ

 都にいる妻のことを旅先で思う侘しさを詠み、「か・き・つ・ば・た」の文字を織り込んだ和歌が、宙を漂っているわけだ。ひらがなを主体とした表現は、文字をあたかも風のように存在させる。カキツバタのある美しい風情の川を映しながら、情感たっぷりに和歌を読むナレーターの声が聴こえてくる映像作品のような趣を持っていると思うのだが、いかがだろうか。

 和歌はそもそも読んで字のごとく「歌」である。声に出すときにはしばしば「詠む」という言葉が当てられ、古くから、音程やリズムを伴って味わうものだったことに思いがおよぶ。たとえば現代まで受け継がれてきた「歌会始」にも様式は残っている。

    著者プロフィール

    小川 敦生

    小川 敦生(おがわ・あつお)

    多摩美術大学美術学部芸術学科教授

    1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒。1988年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社後、音楽、美術などのジャーナリズムの各分野で活動する。日経アート編集長や同社編集委員を経て、日本経済新聞社文化部へ。美術担当記者として多くの記事を執筆。2012年4月から現職。専門は美術ジャーナリズム論。担当のゼミでは、アート誌「Whooops!」を発行している。

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