吉田 忠則

吉田 忠則

日本経済新聞社編集委員

ニッポン農業生き残りのヒント 野菜相場「高値狙い」の誘惑を断て

農業再生は「契約」から

  • 2017年05月26日(金)

 農業経営が進化しているのは、全国に名前の知られた先進経営だけではない。家族が中心に営むような、それほど大きくない経営にも、変化の波は静かに押し寄せている。そこではごく自然な形で、古い農業のやり方と、新しいスタイルとが交差する。注目すべきポイントは、何が変化をもたらしたかだ。

 今回取り上げるのは、京都府南部の久御山町で6年前に就農した上田芳樹さんだ。いま36歳で、生産者としては伸び盛りの時期だ。田んぼと畑でコメやネギをつくっているが、収益源になっているのはビニールハウスでの野菜栽培。キュウリやナス、コマツナ、ホウレンソウ、トマトなどを栽培している。

キュウリの盛期を迎えた上田芳樹さんの栽培ハウス。(京都府久御山町)

 もともとサラリーマンをしていたが、妻の麻由さんの実家が農家だったので、脱サラして就農した。農業の素人だった上田さんに、栽培技術を教えてくれたのは麻由さんの父親だ。

3年間、見て、覚えて、受け継ぐ

 義父は上田さんと同様、かつて新規に就農し、農家としてひとり立ちした。ただ、上田さんと違うのは、会社勤めなど組織で働いた経験はなく、夫婦でひたすら田畑に向き合い、家族を養えるだけの経営を築きあげたことだ。義父が、婿として農業の世界に飛び込んだ上田さんに告げたひと言は、「自分は人に教えるのは苦手だ。見て覚えてほしい」だった。

 「3年の時間をあげよう。3年間、自分の姿を見て栽培を覚えて、4年目からは自分たちでやってほしい」

 一代で築いた経営を、たった3年の指導で娘婿にバトンタッチする潔さは何に起因するのだろう。これまで農家の取材で、形だけ息子に経営を譲っても、陰に陽に口出しして世代交代の足を引くケースをいくつも見てきた。これに対し、上田さんの義父はよほどのことがない限り、栽培に口出しすることは、4年目を境にすぱっとやめた。

 残念ながら、今回の取材は若い上田さん夫婦が対象で、義父の思いに直接迫ることはできなかった。だが、手がかりはある。義父は上田さんに「気を遣いながらできたんで、まだマシだった。これが息子だったら、無理だったろう」と語っていたという。そして実際、4年目に経営のバトンを渡した。

    著者プロフィール

    吉田 忠則

    吉田 忠則(よしだ・ただのり)

    日本経済新聞社編集委員

    1989年京大卒、同年日本経済新聞社入社。流通、農政、行政改革、保険会社、中国経済などの取材を経て2007年より現職。2003年に「生保予定利率下げ問題」の一連の報道で新聞協会賞受賞。

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