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有馬 誠(ありま・まこと)

MAKコーポレーション代表取締役社長

有馬 誠

1956年大阪市生まれ。1980年京都大学工学部卒業。クラボウ、リクルートを経て1996年にジャパン第一号社員として入社、常務取締役として立ち上げに貢献。2004年ネット業界に特化した人材紹介会社アイ・アムを創立、多くの優秀な人材を業界に紹介。2010年よりグーグル日本法人代表取締役に就任。2014年2月より現職

◇主な著書
ギャップはチャンスだ!』(日経BP社) 2014
転職成功のエキスパートが教える最新・最適転職メソッド』( しののめ出版) 2006

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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有馬誠の「ギャップはチャンスだ!」

グーグルへの入社、長い面接期間

2014年12月25日(木)

 前回に記したYahoo! BBが始まった2001年頃、世界で勢力を大きく広げ始めていたグーグルとヤフーの関係にも触れておきたい。

グーグルの日本進出の狙い

本連載はグーグルの前代表取締役である有馬誠氏の新著『ギャップはチャンスだ!』を一部抜粋したものです

 2001年にグーグルは日本支社を設立した。当時日本では、今でいうガラケーだが、携帯電話でインターネットにつなぐということが世界に先駆けて普通のことになっていた。グーグルが初の海外オフィスを日本に置いたのは、モバイルデバイスの未来の可能性を見据えたグーグルが、自社の検索エンジンの技術を日本の携帯電話会社に採用してほしかったからだ。ラリー・ペイジ氏ら創業者が何度も来日して、NTTドコモとKDDIには標準の検索エンジンとして採用されることになった。

 一方で、ヤフーのモバイルへの取り組みは世界的にスローだった。さすがに日本ではその後ソフトバンクの携帯電話事業とがっちり組むなどの戦略を打ったが、この当時の動きはまだのんびりしたものだった。PCの世界で大成功しただけに、新しいデバイスへの感度が鈍くなっていたのかもしれない。対するグーグルはPCの世界では後発だっただけに、次に伸びるモバイルの分野に相当なエネルギーを割いていた。今や世界を席巻する米アンドロイドをグーグルが買収したのは、このわずか数年後の2005年のことだった。

 また、技術に対する取り組みも大きく違っていた。ヤフーの創業者ジェリー・ヤン氏は「われわれは検索にとどまらず、メディアを目指す」と明言していたと書いたが、同時に「技術はすぐに陳腐化するので、技術力で競争するのはリスクが高い。われわれは(ハイテクではなく)ローテクカンパニーを目指す。そして最大の世界的メディアとなる」とも言っていた。

 実際、他の競合検索サイトが技術開発で検索エンジンを進化させていったのに対し(しかしこれら結局はグーグルに敗れてしまうのだが)、ヤフーは検索エンジンへサイトの情報を手動で登録する“サーファー”なる担当者まで置いて、人手によるメディアサービスを志向していたほどだ。この戦略でヤフーは、インフォシークやエキサイト、アルタビスタなどを圧倒し、ナンバーワン・ポータルサイトの座を獲得した。

 ローテク志向、メディア志向に強い自信を持っていたことの象徴的な施策としては、検索エンジンに一時、技術を前面に押し出したグーグルを採用していたことが挙げられる。結局はこれがグーグルの高い技術力を広く世に知らしめることになり、その後世界の検索サービスではグーグルの後塵を拝することになった。その間のハード、ソフトの進歩による競争環境の変化も背景にあるが、まさに時代の皮肉、いや過去の成功体験が、企業のイノベーションの阻害要因になる例と言えると思う。

 自分のことに話を戻すと、ヤフーは取締役、常務取締役を3期6年務めた2002年6月、次の機会に挑戦すべく退任した。

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