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日比谷公会堂、ベトナムから世界に伝えたメッセージ

第2回 ピュリツァー賞を取った3人の日本人 

  • 葛西 陽子

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2012年1月20日(金)

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 第1回ではピュリツァー賞写真部門の歴史を簡単にご紹介しました。 第2回では日本人とのかかわりをご紹介します。
 70年の歴史を持つピュリツァー賞写真部門では、日本人受賞者が3人います。それぞれの作品を受賞順に見てみましょう。

決定的瞬間をとらえた初の日本人受賞者

 1960年10月12日、日比谷公会堂では日米安全保障条約をめぐって、各政党党首による演説会が開かれることになっていました。社会党書記長の浅沼稲次郎は最初の登壇者でした。会場にいた毎日新聞のカメラマン長尾靖(ながお・やすし)は、人ごみを縫って前へ進み、場所を確保します。スピード・グラフィックに12枚撮りのフィルムパックを装填し、全体写真、クローズアップ、政党関係者など11枚を撮りおえ、フィルムは残り1枚となりました。

 浅沼の演説中には右翼からの野次が飛び、演壇にあがってビラをばらまく者もあらわれました。演説はいったん中断されたのち、再開されました。そのとき、舞台の袖から学生服を着た若者が現れ、浅沼に向かって走ってきたのです。学生は体当たりして手にした短刀を浅沼の腹部に突き入れました。

 数人のカメラマンが最初の一撃を撮りましたが、演壇に隠れてよく見えませんでした。2人がよろめいて後ろに下がり、演壇から離れました。学生は浅沼の体から短刀を引き抜き、今度は心臓に突き入れて、再び抜きました。演壇に邪魔されずこれを撮影できたのは、長尾だけでした。

 浅沼は救急搬送中に死亡しました。襲撃者の山口二矢(やまぐち・おとや)は逮捕されたのち、拘留中に自殺したのです。

 この写真は毎日新聞と独占契約をしていたUPI通信によって全世界に配信され、1961年にピュリツァー賞を受賞しました。

 ちなみにこの事件については、沢木耕太郎が『テロルの決算』で詳細に追及し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。

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