• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

ファインダーに映った「勝利と勇気」「飢餓」そして「死」

最終回 ピュリツァー賞の影響

  • 葛西 陽子

バックナンバー

2012年1月27日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 第1回にも書きましたが、ピュリツァー賞は米国の賞です。その写真が米国内に、あるいは世界中にどのような影響を与え、反響を呼んだのか。今回は大きな影響を与えた2枚と、地味ながら深い感動を呼んだ1枚をご紹介しましょう。

アメリカを鼓舞したザ・ピュリツァー賞写真

 1945年2月、米国民は戦争にうんざりしていました。徐々に終息へ向かいつつあったヨーロッパでの戦争に対して、遠く離れた太平洋のあまり聞いたことのない戦地では、一向に状況がよくなる気配がありません。どこにあるのかも分からない、初めて聞くような場所なのに、どこも戦死者数が信じがたいほど多いのです。さらに、日を追うごとに戦死者数はどんどん増えていきます。

 その時、ローゼンタールのこの写真が登場したのです。6人の米国人が力を合わせて一つになり、勝利と勇気を誇示した写真。しかも彼らの頭上には星条旗がひるがえっています。太平洋の戦地から届いた単純明快なメッセージが、米国民の心を初めてとらえました。

 ジョー・ローゼンタールは従軍カメラマンとして、硫黄島に上陸しました。摺鉢山に星条旗を掲げるつもりだと聞いたローゼンタールは、海兵隊の2人のカメラマンと一緒に山を登っていきました。途中で米海兵隊員向け雑誌のカメラマン、ルー・ロウェリー軍曹と出会い、既に旗は掲揚されて、ロウェリーが写真に収めたと聞きました。

 引き返すことも考えましたが、頂上ではいい写真が撮れるとすすめられたため、3人は登り続けました。

 ところが、最初に掲揚した旗は小さかったので、米軍はより大きな旗を立てようとしていたのです。後から頂上に到着したローゼンタールはこれを撮影し、フィルムはグアムに空輸され、新聞に掲載された写真は米国内で大きな反響を巻き起こしました。

 戦争に疲れ、政府への反発が生まれつつあったにもかかわらず、この1枚によって英雄たちに熱狂する米国民。日本との戦争はこの写真が撮られて5カ月後に終結しました。

 ピュリツァー賞は前年に報道発表された写真が受賞対象となりますが、この写真だけは特例として、発表された年と同じ1945年に同賞を受賞しています。

コメント0

「報道写真が写した激変する世界――ピュリツァー賞受賞作が伝えたもの」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トップ自らが矢面に立つことで、問題は次第に収束していきました。

佐々木 眞一 日本科学技術連盟理事長、トヨタ自動車顧問・技監