「報道写真が写した激変する世界――ピュリツァー賞受賞作が伝えたもの」

ファインダーに映った「勝利と勇気」「飢餓」そして「死」

最終回 ピュリツァー賞の影響

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2012年1月27日(金)

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 第1回にも書きましたが、ピュリツァー賞は米国の賞です。その写真が米国内に、あるいは世界中にどのような影響を与え、反響を呼んだのか。今回は大きな影響を与えた2枚と、地味ながら深い感動を呼んだ1枚をご紹介しましょう。

アメリカを鼓舞したザ・ピュリツァー賞写真

 1945年2月、米国民は戦争にうんざりしていました。徐々に終息へ向かいつつあったヨーロッパでの戦争に対して、遠く離れた太平洋のあまり聞いたことのない戦地では、一向に状況がよくなる気配がありません。どこにあるのかも分からない、初めて聞くような場所なのに、どこも戦死者数が信じがたいほど多いのです。さらに、日を追うごとに戦死者数はどんどん増えていきます。

 その時、ローゼンタールのこの写真が登場したのです。6人の米国人が力を合わせて一つになり、勝利と勇気を誇示した写真。しかも彼らの頭上には星条旗がひるがえっています。太平洋の戦地から届いた単純明快なメッセージが、米国民の心を初めてとらえました。

硫黄島の星条旗。 (c) Joe Rosenthal/AP/Wide World Photos
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 ジョー・ローゼンタールは従軍カメラマンとして、硫黄島に上陸しました。摺鉢山に星条旗を掲げるつもりだと聞いたローゼンタールは、海兵隊の2人のカメラマンと一緒に山を登っていきました。途中で米海兵隊員向け雑誌のカメラマン、ルー・ロウェリー軍曹と出会い、既に旗は掲揚されて、ロウェリーが写真に収めたと聞きました。

 引き返すことも考えましたが、頂上ではいい写真が撮れるとすすめられたため、3人は登り続けました。

 ところが、最初に掲揚した旗は小さかったので、米軍はより大きな旗を立てようとしていたのです。後から頂上に到着したローゼンタールはこれを撮影し、フィルムはグアムに空輸され、新聞に掲載された写真は米国内で大きな反響を巻き起こしました。

 戦争に疲れ、政府への反発が生まれつつあったにもかかわらず、この1枚によって英雄たちに熱狂する米国民。日本との戦争はこの写真が撮られて5カ月後に終結しました。

 ピュリツァー賞は前年に報道発表された写真が受賞対象となりますが、この写真だけは特例として、発表された年と同じ1945年に同賞を受賞しています。

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著者プロフィール

葛西 陽子(かさい・ようこ)

日経ナショナル ジオグラフィック社所属。同社入社後、書籍・DVD編集部で『世界のどこでも生き残る完全サバイバル術』『フクロウからのプロポーズ』『一〇〇年前の世界一周』などを担当。



このコラムについて

報道写真が写した激変する世界――ピュリツァー賞受賞作が伝えたもの

ピュリツァー賞は創設されて95年という歴史を持ちます。米国初の大統領辞任に至った「ウォーターゲート事件」の報道で、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが受賞したことでも知られ、米国で最も権威がある賞の1つと言えます。しかし、ピュリツァー賞の名を世界に知らしめたのは、フォト・ジャーナリズムの分野。過去の受賞写真には、一度は見たことのある作品が多数あるはずです。その「写真の力」を感じてください。

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