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政変に活路開く小沢一郎と伊藤博文

明治国家の確立と時限爆弾(中編)~

  • 村井 哲也

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2012年1月31日(火)

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伊藤博文の漸進主義

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 政変は、権力闘争のリスクと同時に事態打開のチャンスである。この瞬間を見逃すリーダーの決断は空虚だ。かつての自民党には、保守合同後の岸信介、60年安保後の池田勇人、ニクソンショック後の田中角栄と、抜け目なく政変を次の時代へとつなげる政治家が群雄割拠していた。

 小沢一郎が良かれ悪しかれ存在感を発揮しているのは、この要諦を皮膚感覚で知っているからだ。1993年の自民党の政権転落と小選挙区制の導入は、もともと経世会(旧田中派)内部の権力闘争に敗れた小沢が、これを「政治改革」のうねりに置き換えて実現したものだ。いずれ改めて論じるが、小沢は政変をチャンスに変え、ここから日本政治の意思決定のあり方を大きく動かしていった。

 「明治14年政変」(1881年)に直面した伊藤はどうだったか。急進的な「政党内閣主義」を主張した大隈は追放され、薩摩・長州の藩閥グループは結束を強めた。その上で伊藤は、民権派グループの活性化を封じるべく、10年後の憲法制定と国会開設を政権公約とした。同時に、岩倉が病気静養で「帰京」していた間隙をつき、宮中グループを鎮定すべく宮中制度改革の着手を決定している。なかなか抜け目ないといえる。

 しかし、伊藤の前途は多難であった。憲法制定に向け、法制官僚の井上毅、岩倉具視と宮中グループ、黒田清隆らは、絶対君主・反政党内閣の「天皇大権主義」を主張した。プロシャ型である。また福沢諭吉、大隈や民権派グループらは、「君臨すれども統治せず」の立憲君主による「政党内閣主義」を主張した。イギリス型である。

 前者を採用すれば、「権威」は担保できるが「権力」の配置は変わらず困難なまま政権担当能力が失われる。後者を採用すれば、欧米列強に文明的な法治国家であることを示し、不平等条約の改正に道筋がつくが「権威」は離脱する。政党(国会)の政権担当能力も疑問だ。漠然とした願望や頭でっかちな理論に基づくシステムでは、時代の変化に対応する生命力は吹き込めない。

 両者への理論的対抗を迫られた伊藤に訪れた好機は、政変で決定された欧米への憲法調査である。おざなりの調査ではない。長州藩の下級武士出身の伊藤は、尊王攘夷から一転してイギリスへ留学し、岩倉使節団に随行することで絶妙なバランス感覚を身に着けていた。それは、柔軟な現実主義であり、時代の変化に合わせ着実に改革を進めていく漸進主義であった。

 司馬遼太郎は伊藤を「思想なき現実主義者」と呼んだが、近年の研究は、その漸進主義に確たる思想を見出している。天皇の「権威」のメンツを立て、国会開設による法治国家の建前を取りつつ、藩閥グループが「権力」の実質を獲得する。人体の成長に合わせる漸進主義の発想がなければ、できる芸当ではない。

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