「首相の権力〜この国はどう決断してきたのか」

「ねじれ国会」を克服した山県有朋

明治憲法体制と政党内閣時代(前編)

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2012年2月7日(火)

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明治国家における「ねじれ国会」

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 不覚にも、近年の「ねじれ国会」は、政権交代時代を迎えた「育ちの苦しみ」と思っていた。民主党は与党経験が足りない未熟な政党だし、自民党は野党経験が足りない不幸な政党だ。

 なぜ政治には、政権交代が必要なのだろうか。美味い飯を食い続ける与党はしがらみという贅肉がついて身動きが取れなくなり、冷や飯を食い続ける野党は政策と理念という筋肉を鍛えて身軽となる。従って、政権交代は政治にとってごく自然であり必要な循環なのだ。

 だから、世界でも異例な自民党長期政権が交代となってしばらくは、多少の混乱もやむを得まい。と、思ってしまった。東日本大震災が起きるまでは。まさか、未曾有の国難に、説明不足と手続き論がひたすら応酬される「決断できない国会」が続くとは思いもよらなかった。

 過去にも「ねじれ国会」はあった。振り返ってみようと思うが、過去の歴史はまず都合よく現在に当てはまらない。前提となる時代状況が異なるのに、「今こそ○○の歴史に学べ!」と言い出す勇気はない。それでも、原敬や山県有朋が相手なら振り返る価値はあるだろう。

 前回に指摘したように、1889年に制定された明治憲法は、あまりに分立的な意思決定システムを擁した。将軍の権力が天皇の権威を蔑にしたとの「幕府的存在」批判に加え、将来に政党が政権を掌握した場合を過剰に警戒し、首相の権力を削減してしまったからだ。

 それでも薩長の藩閥政府が結束すれば、分立的な諸機関は統合され安定した意思決定システムは担保される。はずだった。国会が開会されるまでは。他の諸機関の権力を握っているのだから、民党勢力がはびこる衆議院など抑えられる。まさか、朝鮮半島をめぐり清国やロシアとの緊張が高まる未曾有の国難に、そう身勝手なことはしまい。

 不覚にも、伊藤博文や山県はそう思ってしまった。ところが明治憲法は、衆議院に一定の権力を与えていた。ここに、議会から超然とした姿勢を取る「超然主義」の藩閥政府と、反藩閥政府を掲げる「政党内閣主義」の民党勢力との拮抗状態が訪れる。

 前者は貴族院を与党に持ち、後者は野党ながら衆議院の過半数を得た。「ねじれ国会」に対峙する山県と、後に続く原敬の挑戦の始まりである。

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著者プロフィール

村井 哲也(むらい・てつや)

村井 哲也 明治大学法学部ほか非常勤講師。1995年神戸大学法学部卒、東京都立大学大学院博士課程を経て博士号取得(政治学)、同政治学助教などを経て現在に至る。
専攻は近現代の日本政治史と日本政治論。
著書に『戦後政治体制の起源 吉田茂の「官邸主導」』(藤原書店、2008年)がある。



このコラムについて

首相の権力〜この国はどう決断してきたのか

民主党政権は迷走を続け、日本政治には閉塞感が漂う。その根源は、日本政治が国家の基本的な意思決定すら果たせない現状にある。首相の資質を嘆いていても始まらない。伊藤博文に始まる日本の首相は激しい時代の変化に晒されながら指導力を発揮する意思決定システムをどう築こうとしてきたのか。彼らの格闘の歴史を紐解く中に、決められない政治から脱却する手がかりを探る。

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