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小沢一郎は原敬を超えられるのか

明治憲法体制と政党内閣の時代(中編)

  • 村井 哲也

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2012年2月8日(水)

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権力闘争と原敬への憧憬

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 選挙制度と議会制度は人類最高の発明品だ。歴史上、多くの権力闘争は戦争で決着をつけた。勝てば予算(石高)とポスト(官職)を簒奪し、負ければ簒奪され、下手すれば晒し首だ。これが、血を流さず多数決の投票で決着がつく。それでも、第2回総選挙での激しい弾圧のように、血が流れる選挙は昭和初期まで続いた。

 従って、戦争の代替物たる選挙と議会での権力闘争は不可避だ。多数派形成をめぐる権力闘争に勝ち抜かなければ、議席も政権も獲得できない。実現したい政策は法律にもならない。

 小沢一郎は、1993年に著した『日本改造計画』で、強いリーダーシップの発揮には、国家への使命感とそれを実現する権力基盤が不可欠だと強調している。それを実現したリーダーとして、大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂の4人を挙げる。

 特に同じ岩手(旧南部藩)出身の原には、「特別の親しみ」を感じるようだ。同書を鳥瞰すれば、明らかに小沢は、自民党と官僚機構に挑戦する自分を原になぞらえている。薩長藩閥(山県閥)に挑戦した原への憧憬だ。もっとも、偉大な原に勝手になぞらえるな、との声も聞く。

 理解はできるが、歴史の後づけでもある。冷徹な権力の論理から時に手段を問わない原が首相になってから、大衆の落胆と不人気ぶりはひどかった。「民本主義」で知られる吉野作造は蛇蝎のごとく嫌い、暗殺後のメディア報道は驚くほど冷淡だった。小沢どころの騒ぎでない。

 評価するかしないかは別として、なりふり構わず権力の獲得に執念を燃やさなければ、薩長藩閥(自民党)からの政権交代は不可能だったろう。既に指摘したように、明治憲法は政党内閣の実現を警戒し国家の諸機関へ分立的に権力を与えた。この矛盾は薩長藩閥の結束によって統合され、安定した意思決定システムが保たれてきた。

 しかし、薩長藩閥の意思決定システムは次第に時代からズレ始めた。着々と政友会の党勢を拡大する原は、時代の変化を見逃さない。やがて政友会は、権力の交代を実現して新たな意思決定システムの統合主体に登りつめていく。

 その推進力たる原は、「敵に対して剛、第三者に対してはそれ程でなく、味方には融ける」と称された。その後の日本政治に原がもたらす功と罪を、見事に言いあてた言葉である。

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