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吸収合併で、会社も居場所も元気もなくした男たち

第2回 利益を生むにはまずニコニコ顔から

2012年3月15日(木)

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苦難続きだった会津乗合自動車(通称・会津バス)の2011年。だが、明るいニュースもあった。タクシー事業「あいづタクシー」の売り上げアップだ。裏には、意気消沈した運転手の自信を取り戻すための、ささやかな仕掛けがあった。

 小雪が舞う2012年2月の会津若松市。会津若松駅からほど近い小さな「あいづタクシー」駅前営業所に、運転手たちが三々五々、昼休憩のために流し営業から戻ってきた。暖気がただよう小さな部屋の片隅に、四畳半程度の休憩スペース。運転手たちの笑い声が響く所内は、鉛色の雪雲が覆う屋外とは違って温かく、アットホームな雰囲気だ。

駅前営業所での、朝の点呼風景。「右よーし」「左よーし」

 「まあ昔に比べればとても小さいですけれどね、運転手に笑顔が戻りましたよ。一時は文字通り、居場所がなかったから」。鈴木哲雄タクシー事業部長は苦笑しながら言う。ここは新体制に移行した後、会津バスがタクシー運転手たちのためだけに「なけなしのキャッシュをはたいて設けた」(中里基取締役)スペースである。

 深夜に帰宅する女性看護師らが必ず指名するほど、安心して乗れるタクシー。乗務員が車外に出てドアを開け、迎えてくれる接客が強みのタクシー。会津若松で「あいづタクシー」と言えば、自他共に認める信頼のブランドだった。長い間会津バスの子会社だった「会津タクシー株式会社」は1945年の創業以来順調に成長し、93年には鶴ヶ城近くの一等地に、親会社の会津バス本社にも見劣りしない快適な休憩室を備えた2階建ての本社社屋も構えていた。

 79年9月に入社し、あいづタクシーの全盛期を知っている鈴木事業部長は「会津バスには負けてらんねえ。分社化して、親会社を追い越さなきゃなんねぇ、とずっと頑張ってきた」と言う。

 だが2009年に親会社と合併して会社は消滅、会津バスの1事業部になってしまった。プライドの象徴だった本社社屋はあっけなく閉鎖されただけでなく、タクシー事業部だけを統括する経営幹部すらいなくなっていたのである。

信頼のブランドだった「あいづタクシー」

 あいづタクシーがとりわけ評価を高めたのは、90年前後の修学旅行の随行だ。生徒らが到着すると、最大で70台以上の車両がずらりと並び、その前に運転手が列をなして生徒たちと対面に並ぶ様は壮観だった。「出発式」のセレモニーではミス会津が生徒と運転手に花束を贈呈、盛大に歓迎した。

 「素行の悪い生徒が多い学校もあったが、運転手が目を光らせて監視した。無事に日程を終えられ、先生方からとても感謝された」。小椋孝タクシー事業部営業担当課長は懐かしそうに思い出す。修学旅行時の細やかなサービスでは、学校からたくさん感謝状も来た。運転手を名指しして手紙が送られることもあり、乗務員達は自分たちの会社と仕事に誇りを持っていた。

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「吸収合併で、会社も居場所も元気もなくした男たち」の著者

広野 彩子

広野 彩子(ひろの・あやこ)

日本経済新聞社NAR編集部次長

朝日新聞記者を経て日経ビジネス記者、2013年から日経ビジネス副編集長。日経ビジネスオンラインでコラムの執筆・編集を担当。入山章栄氏の著作『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』を担当。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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