• ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP

「元官僚トップ」古川貞二郎の逆襲と社会党政権の末路

戦後国家の胎動と日本占領(中編)

  • 村井 哲也

バックナンバー

2012年3月22日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回から読む)

 次官会議のロジックと政権交代

 19日の参院行政監視委員会に参考人として出席した、ある元官僚トップが民主党政権に苦言を呈した。「(政治家と官僚の間で政府内の)情報と対処方針の共有が十分でないのは問題だ。(次官会議は)共有システムで、最も有効な政治主導の手段だ。復活させる必要がある」。 (19日読売新聞電子版)

 古川貞二郎は、8年7ヵ月にわたり官房副長官として事務次官会議の司会役を務め、「政」と「官」をつなぐ動脈を保った。そのあいだ、村山富市から小泉純一郎まで5代の首相に仕えている。「元官僚トップ」として、国家の意思決定システムを知り尽くした存在だ。

 これまでも古川は、民主党政権がその役割の精査もなく事務次官会議を廃止したことを手厳しく批判してきた。閣議への附議案件を十分に事前調整して正確を期し、首相や官房長官からの指示・伝達を徹底し、省庁間の横の連携を図る。これらの役割を削いだ結果が迷走の始まりとなったのだから、確かに真っ当な批判だ。

 事実上の廃止となった経済財政諮問会議と同様、むしろ「政治主導」を発揮するため当面は有効活用する価値はあった。東日本大震災の発生後に各府省連絡会議として部分的な復活を果たしたが、その間のロスは計りしれない。古川の苦言は傾聴に値する。

 ただし、歴史から顧みれば、次官会議には本質的な限界もある(※次官に「事務」がつくのは1949年6月の国家行政組織法改正から)。基本は、省庁が横並びに全会一致を尊ぶ場だからだ。言い換えれば、省庁セクショナリズムを最終的に解決する場ではない。

 新憲法は、明治憲法の「国務大臣単独輔弼制」を否定して議院内閣制を定めている。だが、細かい条文は省くが、内閣官制を継承した内閣法・国家行政組織法は、内閣の最高意思決定機関たる閣議に、各省庁による全会一致の性格を少なからず持ち込んだ。

 国会の多数派政党から出た各大臣が、閣議で統合力を発揮すれば省庁セクショナリズムなど突破できる。ただし、前回に述べたように、各省庁から「逆分割統治」されれば突破は難しい。そして、これを結果的に担保したのが次官会議の「事前審査」だ。

 省庁が横並びに全会一致した案件が附議されれば、閣議に省庁セクショナリズムが持ち込まれる。政治案件なら次官会議を経由せず直接に閣議に附議されたが、膨大な行政案件に巻き込まれがちだった。

それが最も顕著となるのは、各省庁に痛みを伴う歳出削減と行政改革の案件だ。官僚機構が、本能的に自力では実行不可能な事項だ。この時に次官会議は、全会一致の抵抗機関と化す。この限界に着目すれば、財政赤字時代の政権交代に戸惑う古川の姿も浮かび上る。

 さて、1947年5月、社会党の片山哲を首相とする中道連立政権が、新憲法施行にあわせ発足した。社会党は、民主化の流れと労働組合の期待を背負って保守勢力と官僚機構を批判し、「政治主導」の理想を掲げた。ただし、現実の政権担当能力はない。

 もちろんGHQは、大切な「傀儡」にテコ入れを図った。強大な機構と権限を持たせた経済安定本部(安本)だ。社会党もこれに「制度幻想」を抱いた。だが、その安易さはじきに崩れる。結局、依存したのは「政治主導」が忌み嫌ったはずの官僚機構だった。終戦後に芽生えた次官会議の「事前審査」は、皮肉にも中道連立政権で確立したのだから。

「首相の権力~この国はどう決断してきたのか」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

日本の経営者は、経験を積んだ事業なら 失敗しないと思い込む傾向がある。

三品 和広 神戸大学教授