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麻生太郎の流儀と吉田ワンマンの「官邸主導」

戦後国家の胎動と日本占領(後編)

  • 村井 哲也

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2012年3月23日(金)

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 「首相官邸」から「外相官邸」へ

 自民党政権の最後の首相・麻生太郎は、「明治人の気骨」を持つ祖父・吉田茂の流儀を流布している。吉田は、冷戦下の米国の思惑を利用して困難な戦後復興と講和独立を成し遂げた。この歴史を引き合いに、悲観ばかりせず誇りと元気を持てと発したメッセージは、特に若年層に支持され麻生の政治資源となった。

 幼少の頃には、吉田の娘として「側近」となった母・和子に伴い、たびたび大磯邸に赴いた。そこで数々の流儀を垣間見る。大磯邸は、吉田が指示を伝達して政界を縦横無尽にリモートコントロールした拠点として知られる。ただし、滞在したのは主に週末だ。

 平日の拠点は「外相官邸」だった。前々回に述べたように、第1次政権で吉田は閣内と与党で孤立を深めた。そのため、閣議や次官会議が開催される「首相官邸」から遠ざかり、「外相官邸」を起死回生の拠点に位置づけた。また、占領下は常に外相を兼任した吉田は、ここをGHQとの情報ルートの拠点に位置づけた。

 ただし、麻布市兵衛町にあった「外相官邸」は、第1次政権末期、目黒の旧朝香宮邸に移転している(現・東京都庭園美術館)。皇籍離脱による経済困窮に配慮した昭和天皇から、借り上げを頼まれたのだ。

 だが、もう1つ理由がある。同じ麻布界隈には、鳩山一郎が仮住まいしたブリヂストンの石橋正二郎邸、鳩山派が密議する料亭・我善坊があった。通信・輸送手段が打撃を受けた終戦後、歩ける距離は重要だった。戦前の小物だった河野一郎が鳩山派で台頭したのは、車を調達したことで誰より豊富な資金獲得が可能となったことだ。

 つまり、「借り物」の自由党総裁だった吉田は、公職追放された鳩山派から頻繁に指示を伝達されリモートコントロールされていたのだ。目黒への移転は、呪縛空間からの脱出だ。ちなみに、前「外相官邸」は吉田が期待をかけた経済安定本部(安本)の「長官官邸」となり、片山政権で和田安本がGHQとの情報ルートの拠点とした。

 1948年10月に復権した吉田は、やはり「外相官邸」を意思決定の拠点とした。混乱の時代の意思決定システムは、公式のものより、むしろ非公式の手法が機能することも多い。互いの邸宅を行き来して縦横無尽に意思決定をなした、明治の元老たちの手法に通じる。

 吉田の「明治人の気骨」を象徴するかのようだ。孫の麻生は、首相在任時は連夜のホテル・バー通いが批判された。だが裏面では、同じホテルの一室で政治家や事務次官らと非公式の会合を繰り返していた。

 祖父の流儀にならったのかは知らないが、時代が違うと言えば違う。その流儀は、明治憲法から新憲法へ架橋される時代を鋭敏に見極めたからこそ輝いたものだからだ。

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