2011年10月5日にスティーブ・ジョブズが逝去して以来、ビジネス界のもっぱらの関心は、この希有な才能を持つ創業者なしに米アップルが生き延びていけるのかという点である。ジョブズは世の中をすっかり変えてしまうような革新的な製品やサービスを構想して人々を夢中にさせたが、同時に、ワンマンで製品開発の重要な判断を下し、恐怖政治もどきの厳しいルールで社内を統制していた。アップルの成功には、このジョブズという特異な人となりが奏効したと思われてきた。

だが、ジョブズは既に何年も前に、アップルのDNAを次代に継承させるためのアップル大学を自ら創設していたのである。目的は、アップルの成功を法則化することだった。アップルはジョブズ亡き今も以前と同様の秘密主義を保っていて、このアップル大学についても詳しい実態を明らかにしていない。だが、関係者らの証言を総合すると、こんな姿が浮かび上がってくる。
アップル大学の設立構想は、2000年頃に始まった。ジョブズ自身がアップルという企業の他にない特性を自覚し、その成功法則を社内で共有するための方法が必要だと感じたのだという。
2000年と言えば、ジョブズがアップルに復帰して3年。アップルストアと「iPod」の開発が最終段階に入っていた頃である。アップルはその後、さらに「iTunes」「iPhone」を立て続けに発表し、確固たる成功をものにする。つまり、アップルがアメリカの大衆に受け入れられるようになる前夜とでも言うべき時期に、ジョブズは後世に思いを馳せていたことになる。
エール大学ビジネススクールの改革派学長を招聘
当初は大学というほどのものではなく、マネジャー向けにマニュアルを準備する程度だった。それが数年後には、専門家を招いてよりフォーマルな形に近づく。その後、設立構想は膵臓ガンにかかったジョブズが2度目の療養休暇を取った2008年に急速に発展する。その年、アップルはエール大学教授のジョエル・ポドルニーを迎え、アップル大学を正式に開校した。一説によると、ポドルニーはジョブズ自身のチョイスだったという。
ポドルニーはスタンフォード大学の経営大学院(ビジネススクール)で教鞭を執った後にハーバード大学へ移り、その後2005年に39歳でエール大学のビジネススクールに学長として迎えられた逸材だ。専門は経済社会学。「ビジネススクールは現実社会の問題解決方法を教えなければならない」を信条とし、マーケティングや会計といった従来型カリキュラムを根こそぎ改変して、「従業員」とか「クリエイティビティーとイノベーション」といったようなテーマ性の高いものに作り替えた。
だが、その改革も半ばでアップルへ転職をしたことに、ビジネススクール界は驚き、エール大学関係者は戸惑いを隠しきれなかったという。ポドルニー自身は「現代のトーマス・エジソンを教育する」と意気揚々と去っていったらしい。実際、アップルに移った後のポドルニーは、アップル大学を整備するとともに、より優れたリーダーとしての振る舞いをジョブズにアドバイスするという任も帯びていたようだ。彼のオフィスはジョブズと現CEO(最高経営責任者)のティム・クックに挟まれた位置にあったという。
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