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東京のリトル・ヤンゴン、高田馬場

民主化への弾圧を逃れた難民が起業家として活躍

  • 藤巻 秀樹

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2012年6月20日(水)

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 日本企業の進出が連日、新聞紙面を賑わすミャンマー最大の都市、ヤンゴン。東京のリトル・ヤンゴンと呼ばれるのが新宿区にある高田馬場である。高田馬場駅周辺にはミャンマー料理店をはじめ、食材・雑貨店、美容室など同国人が経営する店舗が約20店もある。高田馬場だけで約500人、周辺の下落合、豊島区高田なども加えると、1000人近くのミャンマー人がこの界隈に住んでいる。彼らの多くは旧軍事政権による迫害を恐れ、本国を逃れてきた難民である。

 ミャンマー人の店は高田馬場駅前の早稲田通り沿いと、そこから少し入った小さな路地に集中している。駅前にある11階建ての黒いビル「タックイレブン高田馬場」に入ってみた。1階にまずミャンマー料理店がある。エレベーターで上階に行くと、5階、7階、8階、9階、10階にミャンマー系とおぼしき店舗がいくつもあった。ドアを閉ざした店もあったため、正確には分からないが、食材・雑貨、旅行、貿易関係などの店舗・オフィスが10近くある。まさにミャンマービルだ。

 早稲田通りから北側に伸びる小さな通りに、ミャンマー料理店の「ルビー」がある。チェッターヒン(鶏とジャガイモの煮込み)やトーフトウ(豆腐の和え物)など本場のビルマ料理がメニューに並ぶ。この店を経営するのはミャンマー難民のチョー・チョ―・ソーさん(49歳)だ。ソーさんは自分の国をビルマと呼ぶ。ミャンマーは1989年に軍事政権が国名を変えるまではビルマという名称だった。ソーさんの心の中では祖国の名前は今でもビルマなのだ。

チョー・チョー・ソーさん(左)とシャン族の山田さん

 ソーさんによると、高田馬場にミャンマー人が多いのは、(1)JR山手線の沿線で交通の便が良い、(2)家賃が安く、外国人にも部屋を貸してくれる家主がいる――からだという。これは新華僑が池袋、韓国人ニューカマーが新大久保に住むのとほぼ同じ理由だ。同じ山手線の沿線でも、池袋は中国人、高田馬場はミャンマー人、新大久保は韓国人と住み分けが行われている。

民主化への弾圧を逃れるため母国を離れる

 ソーさんが日本に来たのは1991年。本国ではヤンゴン経済大学を卒業し、会計士の仕事をしていた。1988年の民主化運動に参加。軍部によってデモが弾圧された。身の危険を感じたソーさんはタイを経由して日本に逃れてきた。

 来日後は東京の建築現場や千葉県の電気工事店で働き、生活費を稼いだ。日本語が分からないため、工事現場ではパイプの置き場所を間違えて怒鳴られたこともあるという。1996年、日本政府に難民認定を申請した。日本は簡単に難民認定が出る国ではない。不認定になって強制送還されたら、どうしようと心配だったが、幸い1998年に認定された。翌年、本国から妻を呼び寄せ、ようやく家族一緒に暮らす毎日が始まった。

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