• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「我々はコンビニ旅館です」

8店舗を効率経営する神奈川・箱根の一の湯

2012年11月29日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 「我々はコンビニ旅館」。

 国内有数の保養地である神奈川・箱根で一の湯を経営する小川晴也社長はこう言ってはばからない。一の湯の創業は1630年。箱根では2番目に古い旅館で、小川社長は15代目に当たる。

 その老舗旅館がなぜ「コンビニ」を名乗るのだろうか。

 今、全国の旅館の多くは厳しい経営を強いられている。高度成長期からバブル崩壊まで、旅館に泊まる人は社員旅行や修学旅行などの団体旅行客が中心だった。団体客であれば、食事は宴会場で一緒に取るし、食事の内容も同じものになる。むしろ同じでなければ問題が起きる。客室は5人で1室が基本だった。この時代の大型旅館は、すべてが団体旅行客に合わせた設備になっていた。

 だが、バブル崩壊後、特にインターネットが普及してからは、旅館を訪れる宿泊客が大きく変わった。団体旅行の需要は落ち込み、現在は家族やグループでの少人数旅行が主だ。夫婦やカップルといった2人客も多く、徐々に1人客も増えているという。

 少人数の宿泊客となると、料理の内容も千差万別。同じグループの宿泊客であっても、料理が異なることもある。食べる場所も宴会場ではなくなる。

 こうした消費行動の変化が旅館経営を圧迫している。特にバブル以前に建築された大型旅館は、その巨大な設備を持て余すようになってしまった。また、かつては出張者が利用していた駅前の旅館もビジネスホテルに取って替わられている。観光地であっても、ビジネスホテルに宿泊する旅行者も増えている。

 こうした要因が重なり、旅館の数は減り続けている。この旅館経営受難の時代にあって、一の湯は現在、箱根地域で8軒の小型旅館を運営している。8軒の旅館をドミナントで展開することで、高い生産性と顧客満足を両立させることに成功しているのだ。小川社長が「コンビニ旅館」を標榜する理由がここにある。だが、小川社長がこの経営に行き着くまでには、様々な試行錯誤があった。

大手企業を辞め、経営危機の実家に

 大手企業で働いていた小川社長が家業を手伝うために戻ってきたのは1978年のことだ。既にこの時点で一の湯の経営は危機に瀕していた。

 今でこそ苦境にあえぐ旅館が多いが、当時の旅館業はまだ成長産業だった。高度成長によって、大企業で働くサラリーマンが増え、同時に高速鉄道網や高速道路網が全国へと広がった。消費者は余暇を楽しむことを覚え、観光旅行が一般的なものになった。それに伴い、これまでの湯治宿が大型化したり、新たな企業が旅館業に参入したりするなど、巨大な観光旅館が次々と登場した。

 業界が成長の只中にある中で、一の湯は経営危機を迎えていた。原因は先代の社長が1974年に作った「ホテル一の湯」にあった。

コメント0

「おもてなしの経営学」のバックナンバー

一覧

「「我々はコンビニ旅館です」」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック