課長であるあなたは「リーダー」でしょうか。
「課に与えられた役割はこなしているつもり。予算は一応達成しているし、部下の育成にもそれなりに配慮している」
こう答えたとしたら、あなたはおそらくマネジャーとして合格点をもらえるでしょう。しかし繰り返しますが、自分はリーダーですと言い切れるでしょうか。
そもそもリーダーとはどうあるべきなのでしょう。今回は課長という役割を「リーダー」という視点から考えてみます。
リーダーはトップだけではない
日本の社会や経済に閉塞感がある中、強いリーダーの出現を多くの人が待ち望んでいます。政治家にリーダーシップを求める声もあれば、企業や団体など組織のトップに期待する声もあります。実際、成長する組織、収益を伸ばす組織、人々が力を発揮している組織には必ず有能なリーダーが存在します。
ただしリーダーは組織のトップだけではありません。さまざまな形で存在する現場リーダーたちがその組織に大きな影響を与えているのです。
例えば雑誌の編集部において、トップは編集長です。言うまでもなく編集長が有能であることは重要です。とはいえ、編集長一人の能力で売れる雑誌を出し続けることができるかと言ったら、そうではありません。デスクと呼ばれるリーダーたちが若い編集者や外部のスタッフを引っ張っていくことで売れる雑誌は作られています。
学校においてはどうでしょう。校長が有能であれば、生徒たちの学力向上についても、いじめ問題に対しても、前向きに取り組むでしょう。ただし、校長一人だけではなく学年主任などリーダー格の先生たちが正しく動いてこそ、良い学校になっていくわけです。
日本企業の多くはミドルリーダーである課長クラスが動かしています。ワンマン社長のトップダウンで動いているように見える企業であっても、現場を実際に仕切っているのはミドルリーダーです。
どういうミドルがリーダーと言えるのでしょうか。それは「トップの覚悟がわかる」ミドルです。課長としての目だけでなく、トップの視点で物事を判断できるミドルです。
3人のうちリーダーは誰か
つい先日、「ミドルリーダーとはなんぞや」と考えさせられる事例を目にしました。
例示された「新しいインストラクターを迎えるためにクビにすべき人たちに淡々と退職を伝えていった」件ですが、普通に考えれば「顧客を寄せるためのプログラム」が何であるかがわかるのならば、現状のインストラクターにその指導の仕方を習得させればいいだけのこととは思います。新しいインストラクターにネームバリューがあるなら話は別ですが。また、部下が出来ないのは上司のせいであると結論付けている(最近この論調多いです)ようですが、これは違いますね。出来ない部下がいた場合は第三者が上司の管理力のせいであるか部下の力不足であるかを冷静に判断すべきです。上司は自分の能力のせいかもしれないと省みる必要はありますが、必ずしも上司だけの責任とは思いませんね。この上司の管理力に全てが委ねられるという考え方は、人間は努力すれば必ず実る(部下をきちんと指導すれば仕事が出来る人間になる)という、いわば性善説のようなものであり、現実の世界には即していないと思います。(2013/01/18)