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デニム工場に託された、気仙沼の復興の夢

震災を機に新事業、デニム縫製工場の及川秀子さん

2013年2月26日(火)

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 志を持って、リーダーとして企業や組織を率いる女性たちを紹介するこの連載。第5回となる今回は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市でデニム工場を営む、オイカワデニムの及川秀子社長にスポットライトを当てる。及川さんは2012年に日本政策投資銀行主催で開かれた「第1回女性新ビジネスプランコンペティション」で女性起業震災復興賞を受賞した。

 1981年に誕生したオイカワデニム。夫の死とグローバル化の波という2度の苦難を乗り越えて生まれたオリジナルのジーンズは、知る人ぞ知る「通のジーンズ」として名を馳せる。2011年の東日本大震災以降は、デニムを使ったバッグの製作を通じて地元の雇用を増やし、被災地域の復興に向けて新たな取り組みを開始した。縫製工場を経営しながら女手ひとつで3人の息子を育て上げた、及川社長の「激動の半生」を振り返る。

人生で2度の「覚悟」と再起

及川 秀子(おいかわ・ひでこ)
1946年新潟県出雲崎町生まれ。69年に宮城県気仙沼市に移り住む。珠算教室代表を経験した後、81年オイカワデニム専務に。91年から現職

 私が新潟県・出雲崎町から宮城県気仙沼市に嫁いだのは、今から40年以上前の1969年のことです。当時、夫の実家は呉服屋を経営していましたが、呉服の需要は減少傾向にありました。そんな折、問屋さんから「ジーンズを縫ってくれる工場を探している」との声をかけていただいたこともあり、呉服からデニムの縫製へと事業を移行したのです。1981年のことでした。

 お仕事は、商社を通していただいていました。商社に敷いてもらった線路の上をうまく走っていれば、従業員さんの雇用は守れたし、3人の息子たちを育てることもできると思っていました。

 しかし、この仕事を始めて今日まで、30年以上の間で2回、「辞めよう」と覚悟したときがあります。1回目は1991年、主人が病気で他界したときです。

 残されたのは、3人の息子と地元で雇用した従業員さんたち。「子どもたちは新潟の学校に」。新潟の両親からはそう言われましたが、工場で働く人もいますし、主人が治療をしていたときには地元の皆さんに助けていただいていたので、「今度は恩返しをするときだ」と、どうにか踏ん張って事業を軌道に乗せることができました。

 面白くなってきたな――。そう思った矢先の1998年ごろに起こったのが、生産拠点の海外シフトという波でした。

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「デニム工場に託された、気仙沼の復興の夢」の著者

瀬戸 久美子

瀬戸 久美子(せと・くみこ)

日経WOMAN編集部

旧・日経ホーム出版社(現日経BP社)に入社後、日経WOMAN、日経TRENDY、日経ビジネス編集を経て2013年4月より現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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