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バレエ好きの専業主婦が、「名ばかり社長」に担ぎ出された

【第1回】経営は分からないのに、突然町工場のトップに

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2013年3月7日(木)

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 私は1984年、何も知らない、何も分からない状態で、小松ばね工業の2代目社長に就任しました。

 小松ばねは、私の伯父である小松謙一が、1941年に東京都大田区で興した会社です。

 社名の通り、バネを作る会社です。創業期は主に、カメラのシャッターに使う部品を手がけていました。その後、通信機器の普及が始まればトランシーバーの水晶発信機を作り、OA機器の製造が盛んになれば、プリンターなどに使う部品も作ってきました。

 長らく大田区内の工場ですべてを製造していましたが、1976年には宮城県に、1989年(平成元年)には秋田県に工場を建設し、製造も行うようになりました。東京では人材が確保しにくくなったからです。

 その後は、自動車産業や半導体検査装置にも関わるようになりました。また、カメラが電子化されるに伴い、カメラ業界は医療業界へシフトしてきましたので、私たちも、それに伴ってカテーテルなどに使われるバネを製造するようになりました。

秋田やインドネシアにも工場

 1997年には、インドネシアにも工場を新設し、製造を開始しています。時代の流れに沿い、作るものも、作る場所も、変化してきたのがおわかりいただけると思います。

 折りたたむタイプの携帯電話に使われる部品を手がけていた時期もありましたが、スマートフォンの急速な普及に伴い、この部品は、瞬く間に需要がなくなりました。リーマンショック後、なかなか経営状況が以前のようには戻らない部分もあります。それでも、現在、国内82人、海外65人の従業員と共に、お客様の要求に応えることを第1に掲げ、日々、努力をしています。

 私の母は創業者・小松謙一の妹です。私はその母の嫁ぎ先で4人姉妹の2番目として生まれ育ちました。ただ、伯父に子どもがいなかったため、私は幼い頃から、小松家の養子になることが決まっていました。

小松ばね工業の小松節子会長。まさか自分が工場を継ぐこととは思っていなかったというが……(写真:高橋久雄)

 実の父の教育方針は、女子は良妻賢母となり、幸せな家庭を支えるのが一番というものでした。したがって、教育は不要。今となってはどうかと思うところもありますが、当時の私はそれを疑問に思うことはありませんでした。

 父は情操教育への理解はありました。私もお琴やクラシックバレエなどのお稽古へ通わせてもらい、なかでもバレエは楽しく続けることができ、高校生の頃には、近所の子どもたちに教えるようにもなっていました。教えるために、スタジオを建ててくれたのは父でした。

 私は短大を卒業後、就職をしませんでした。そして25歳で結婚をする際に、正式に伯父の養子となりました。その後は専業主婦として、2人の子どもを育て、相変わらずバレエを教えながら、楽しい15年間を過ごしました。

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