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ターゲットは時代に合わせて変えるもの

新潟県湯沢町の温泉旅館「HATAGO井仙」・その1

2013年3月22日(金)

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 このコラムでは、旅館に代表される宿泊施設の事例をこれまで数多く紹介してきた。それぞれの旅館の歴史や成り立ちは様々であるが、共通して言えることは、人口減少による需要の縮小と、団体旅行から個人旅行へという旅行の形態のシフトにより、旅館の経営が今までのままでは成り立たず、どこも何らかの変革を迫られているということだ。

 今回、紹介するのは新潟県湯沢町にある「HATAGO井仙」である。飲食店から旅館の経営に移り、時代のニーズに合わせて主要顧客を変えるなど、変革し続けている旅館だ。

新潟・越後湯沢駅前にある「HATAGO井仙」の外観

 「HATAGO井仙」を経営する、いせんの源流は1932年までさかのぼる。現在社長を務めている井口智裕氏は4代目。初代は旧小出町(現・魚沼市)の出身で、32年に越後湯沢駅の正面で飲食店を開いた。

 越後湯沢は、近年では首都圏から行くのに便利なスキーリゾートとして認知されている。越後湯沢におけるスキーの歴史は古く、今年でちょうど100周年を迎える。だが、もともとは平安時代の末期に自然湧出の源泉が発見されたという長い歴史を持つ温泉地であり、開業数百年の旅館もあるという。ただ、基本的には地域の住民の湯治場としての役割を果たしてきた。

 越後湯沢が大きく発展したのは1925年の上越線の開通からである。トンネルの建設などに多くの作業員が動員され、越後湯沢がそのベースキャンプとなって、町はにぎやかになった。そうした流れに乗って、いせんの初代も飲食店を開いたのだ。

 戦後になると、駅の裏側にあたる地区が温泉街になっていった。そこで初代は駅前から駅裏に移り、1958年に12室の温泉旅館を開業した。この頃から観光ブームが訪れ、全国的に団体旅行が増えていった。越後湯沢も新潟県内で最も芸者が多い観光地となり、旅館数も増えた。

 1960年代以降はスキー客も増えた。さらに、1982年の上越新幹線の開通が地域の大きな転機となった。越後湯沢駅の裏口にあたる側に新幹線口ができ、人々の動きが大きく変わった。スキー客も本格的に増え始めたことから、井口社長の両親は1986年に、スキー客が手軽に宿泊できる温泉旅館「湯沢ビューホテル井仙」へと建て替えた。客室は18。約1万円で1泊2食のサービスを提供する民宿のような温泉旅館であった。

「旅籠」のコンセプトで旅館を再構築

 現社長の井口氏が大学を卒業し、家業を継ぐために越後湯沢に戻ったのが1994年のことである。バブル経済が崩壊した直後で、旅館業は右肩下がりの状況にあった。井口氏は「不景気産業」としての旅館業の悲惨な状況をまず目の当たりにした。不明瞭な料金体系、人によって異なるサービス内容など、企業としての仕組みの弱さに井口氏は「旅館業は構造的におかしいと思った」と話す。

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「ターゲットは時代に合わせて変えるもの」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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