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「チェルノブイリ・ツアー」はなぜ成功したのか

3度目のプリピャチ訪問(1)

2013年4月26日(金)

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 最近、ネット上では、「福島第一原発の観光地化」がずいぶんと物議を醸しているようだ。

チェルノブイリ原発の石棺を背景に戯れる子犬たち

 「25年後、福島第一原発は観光地に」のキャッチフレーズはチェルノブイリ・ゾーンが原発事故から25年後に観光地として開放されたことにならっているという。しかし、私はそれよりもっと以前から一般客がチェルノブイリ原発4号炉の目の前まで行くことができたことを知っている。なんせ私自身がその観光客の1人で、渡航したのも事故から14年後の2000年と、2003年だった。観光自体は90年代半ばから行われていた。それで、「私も行きます!」と名乗りをあげたのだった。

石棺より印象に残る女性ガイド、リンマさん

 チェルノブイリ・ゾーンの観光名所といえば、やはり事故を起こした4号炉の石棺だと誰もが思うだろう。しかし、最も私の心に残ったのは石棺ではなく、私たちを案内してくれたガイドだった。

 過去の2度のチェルノブイリ訪問では、1995年にウクライナ非常事態省に付設された情報・国際協力および開発を担当する国営企業「チェルノブイリインテリンフォルム」のガイドが私たちを案内した。その時、訪問客たちから愛されてやまなかったのが、名物ガイド、リンマ・キセリッツァさんだった。

チェルノブイリのガイドだったリンマさん(2003年7月)

 一度目の渡航の際は、とにかく恐ろしくて、私も終始浮かない気分だったが、一通りチェルノブイリ見学が終わってから、チェルノブイリの食堂でリンマさんと一緒にウクライナ料理のボルシチを食べた。リンマさんはモスクワ国立大学文学部で英語を専攻し、大学の講師をしていたが、今はは英語力を生かしてチェルノブイリでガイドをしていると語った。

 放射能の健康への影響について日本人客が英語で尋ねると、

 「14日間ごとにチェルノブイリとキエフを行き来しているし、大丈夫よ!」
 と答えた。しかし、日本人男性は厳しい顔になり、
 「優秀でまだ若い女性がこんなところで働いているなんて、いいわけがない」
 と、日本語でつぶやいた。

 リンマさんとは、初めての渡航の際にはほとんど会話しなかったのだが、2度目に訪問した際に再会し、ロシア語が多少はできるようになっていた私は思い切って話しかけた。

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「「チェルノブイリ・ツアー」はなぜ成功したのか」の著者

宮腰 由希子

宮腰 由希子(みやごし・ゆきこ)

ロシア語通訳

ロシア語通訳、NGO「ダール・アズィーザ」事務局長。1983年青森県弘前市生まれ。17歳の時にチェルノブイリに行き現地を視察。2002年~08年、モスクワ国立大学留学。現在はキエフに滞在中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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高坂 晶子 日本総合研究所調査部主任研究員