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「物言う社員」になりなさい

女性から女性へと受け継がれた米国初のCEOリレー

2013年7月5日(金)

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ゼロックスCEO兼会長のウルスラ・バーンズ氏(写真:ロイター/アフロ)

 ゼロックスのCEO兼会長を務めるウルスラ・バーンズは、黒人女性として初めてフォーチュン500企業のトップに上り詰めた人物として知られている。女性というハンディはもとより、黒人女性という不利を抱えながらの昇進。だが、彼女にはもうひとつのハンディがあった。それは貧困だ。

 バーンズは1958年、ニューヨークでパナマ移民の両親の間に生まれた。幼少の頃から父親はほぼ不在で、兄妹と共に母の手ひとつで育てられたようだ。その母は、一番多い時で年収がたったの4400ドル。掃除やアイロン掛けで生計を立てた。住まいは、「プロジェクト・ハウジング」と呼ばれる低所得者向けの集合住宅で、バーンズによれば当時はギャングや麻薬中毒患者がうろうろしているような「ゲットー」だったという。

 だが、この母はそんな貧困に負ける人ではなかった。工夫を凝らして生きることに長けていて、子供の医療費が必要になった際には、医者に掃除サービスを提供して賄ったりしたという。何よりも子供の教育には熱心で、わずかしかない収入の半分以上を学費にあてた。

 自分の運命は自分で変えられると考えていた母は、ゲットーから引っ越しこそできなかったが、将来のために子供には惜しみなく投資した。そして、子供たちにはいつもこう言って聞かせていた。

 「こんな場所に住んでいるからと言って、それがあなたたちを決定するわけじゃない。あなた自身と住まいとは何の関係もないのよ。あなたがどんな人間かは、自分の性格が決める。目の前のものにどれだけのエネルギーが注げるか、自分の人生を自分の手でどれだけ変えていけるか。それこそがあなたなのよ」。

 バーンズは、この母の言葉を忘れたことがないという。

 母がお金を出して通わせてくれた高校を卒業後、奨学金を得て大学院まで進む。そしてゼロックスのトップへの道を歩むことになるのだが、そんなバーンズは、母と彼女自身、二世代の女性によって作り上げられた存在と言えるだろう。

 高校生の頃から数学が得意だったバーンズは、将来の仕事はエンジニアだと心に決めていた。理由は、給料が高いから。そしてニューヨーク大学の工学部に進学し、在学中にゼロックスでインターンとして働いたのが、ゼロックスとの出会いだ。卒業後コロンビア大学大学院へ進学した時の学費は、ゼロックスが援助してくれた。

 エンジニアとして就職したバーンズは、しばらくの間、エンジニア以外の仕事をしようとはこれっぽっちも思っていなかった。しかし、顧客のことをもっとよく知らなければエンジニアとしていい仕事ができないということに気づく。そして、提供する製品やサービスの統合方法、価格体系、ビジネスモデルといったことを習得していき、ごく自然にビジネス面での技能も身につけていった。入社して7、8年も経った頃には、顧客を訪ねて世界の主要大陸はすべて踏破していたという。同時に、給料も上がっていた。

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「「物言う社員」になりなさい」の著者

瀧口 範子

瀧口 範子(たきぐち・のりこ)

ジャーナリスト

シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、社会、文化、時事問題、建築、デザインなどを幅広く日本のメディアに寄稿。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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