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「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」の平和を祈るウクライナの人たち

チェルノブイリ・ゾーンのお墓参り

2013年8月20日(火)

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 毎年4月26日から2日間、私は誕生日のお祝いで忙しくなる。4月26日はチェルノブイリ原発事故のあった日なのだが、なぜか私の身近な友人たちの間では、この26日前後に誕生日の人が多いのだ。

 ロシア人たちは誕生日を心から大切にしていて、年をとると共に年齢を相手に尋ねるのはタブーであるにも関わらず、いくつになっても誕生日は盛大に祝い合う習慣がある。今年も忘れずみんなにお祝いメールを打った。“チェルノブイリのおかげで”、私は彼らの誕生日を忘れることがない。

 モスクワ大学で私と一緒に学んでいた同窓生たちの多くが1986年生まれだった。1986年はどんな年だったかと聞けば、旧ソ連の人なら誰もがチェルノブイリ原発事故があった年だと答えるだろう。ソ連崩壊の一因にもなったと言われるくらい強烈な出来事だった。

4月22日に行われたチェルノブイリ原発事故犠牲者追悼コンサート(キエフ市内)

 国際政治学部には旧ソ連各地から学生がやって来ていたが、学部の後輩には放射能汚染地域であるロシアのブリャンスク州出身の学生もいた。彼女の親はがんで亡くなり、彼女自身も甲状腺異常があって健康状態があまり良くなかった。彼女は親の死も自分自身の病気もすべてチェルノブイリ原発事故のせいだと考えていた。同世代の友達はチェルノブイリ原発事故前後に生まれ、中にはこのように、事故の影響を強く受けてしまった運命の人もいた。

事故後に生まれた学生や子供たちが多く参加

 今年の4月26日前後の1週間は、チェルノブイリの追悼イベントなどに連日参加したが、最初に出席したのは、キエフ市内で行われた追悼コンサートだった。コンサートには立ち見の人たちがたくさん出るくらい大勢の人が詰めかけていて圧倒された。特に、詰めかけた人の多くが事故後に生まれたウクライナの学生たちだったのだ。

 スピーチをしたウクライナ人たちはチェルノブイリだけではなく、何度も何度も「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」への平和を祈る言葉を繰り返した。彼らはこの日、日本人も会場に来ていることを知っていただろうか? 私たちの知らないところで、チェルノブイリの人々が日本で起こった悲劇をまるで自分の国の出来事のように語り、祈ってくれているのだと思うと感動した。

4月26日の原発事故犠牲者追悼式にて献花する人々(スラブチチ市)

 今年の4月26日前後はチェルノブイリ原発作業員や事故の被災者が多く暮らすスラブチチにいた。キエフ時間0時23分に合わせて行われた祈念式典に参加し、私も最初に亡くなった消防士たちの記念碑に、現地のしきたりに従って、赤いカーネーションを献花した。市内の子どもたちが多く参加していて、ローソクの明かりを手に、献花する市民の並ぶ道を作り、照らしている。

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「「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」の平和を祈るウクライナの人たち」の著者

宮腰 由希子

宮腰 由希子(みやごし・ゆきこ)

ロシア語通訳

ロシア語通訳、NGO「ダール・アズィーザ」事務局長。1983年青森県弘前市生まれ。17歳の時にチェルノブイリに行き現地を視察。2002年~08年、モスクワ国立大学留学。現在はキエフに滞在中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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