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房総半島にあるのに海が見えない民宿の復活劇

千葉県南房総市「網元の宿 ろくや」のサービス改革

2013年9月19日(木)

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 今回は、千葉県の房総半島にありながら、部屋から海も見えず、銀行に事実上、見放されてしまうほど厳しい経営だった民宿が、地道なサービス改革で復活を果たした事例をご紹介したい。

 その旅館は千葉県南房総市にある「網元の宿 ろくや」という。

 ろくやのすぐそばには、夏になると首都圏から多くの海水浴客が訪れ、臨海学校も数多く行われる岩井海岸がある。この場所で、ろくやの現在の社長である渡邉丈宏氏の祖父は定置網の網元をしていた。さらに、海砂利を運搬する海運業も営み、船3隻を所有していた。

 1950年代に入り、観光ブームが房総半島にも訪れると、渡邉社長の父親が自宅の一部を使い、副業として夏の間だけ民宿「下隠居」を開くようになった。 渡邉社長は「夏は物置で暮らしていた」と当時を振り返る。

 下隠居はかつてどこにでもあった民宿と同じように、風呂やトイレは家族と共同で使い、襖一枚で仕切られた部屋に海水浴客が宿泊していた。夏は多くの宿泊客が来るため、高校生だった当時の渡邉社長は物置で暮らしながら、皿洗いを手伝う日々を送っていた。

バブル崩壊で銀行から見放される

 1980年代後半のバブル絶頂期になると、本業である海運業の調子が良く、さらに団体旅行も増え始めた。そこで、木造だった民宿を1990年に改築。「南房シーパレス」として生まれ変わった。新しい施設は3階建てで7.5畳の部屋が32室あり、さらに別棟にも8部屋があった。夏の海水浴客だけでなく、それ以外のシーズンは大学生のサークルの合宿場所として多くの宿泊客が訪れた。

 しかし、1990年代に入り、バブル経済が崩壊すると、本業である海運業の業績が悪化。大学生の合宿も減ってしまった。その後の経済状況は好転せず、経営状況は年々厳しくなっていった。海運業と民宿を合わせた売上高は7000万円まで減少。銀行からの借入金は10億円に上った。この頃の渡邉社長は大学を卒業して定職を持たないで生活していた。しかし、銀行からいよいよ破綻先の烙印が押され、実質的に見放されてしまった2001年、母親に説得されて実家に戻ることとなった。

 渡邉社社長がまず取り組んだのが借金の整理だ。顧問の会計士と相談しながら、銀行との折衝を始めた。最終的に自ら資金を借りて、父親から全ての財産を買い取った。そして2006年、民宿「網元の宿 ろくや」として新たなスタートを切った。

普通の住宅の横にある「網元の宿 ろくや」

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「房総半島にあるのに海が見えない民宿の復活劇」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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