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あまり語られていない「山内溥氏が世界に影響を与えたもの」

携帯ゲームは、任天堂から生まれた

2013年9月26日(木)

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 9月19日。任天堂前社長の山内溥(やまうち・ひろし)氏がお亡くなりになりました。

 1983年発売のファミコンを世界的ヒット商品に育て上げ、任天堂を全世界のゲーム産業のトップランナーに押し上げた人物です。もし山内氏がいなかったら、世界のゲームビジネスはまるで違うものになっていたでしょう。

 ファミコンの普及によりゲーム産業の礎を作ったのみならず、新陳代謝の激しいデジタル産業で「ゲームボーイ」「スーパーファミコン」などのゲーム機を立て続けにヒットさせた、その持続力も素晴らしいかぎり。30年にわたり、ついにトップランナーであり続けたゲーム企業は任天堂だけです。その経営の安定感は驚くべきものです。

 いま、山内氏死去の報を受け、その経営戦略などについて、様々なエピソードが語られています。その多くはファミコン以降の話で埋め尽くされているでしょうから、当コラムでは、じつは携帯ゲーム機のヒットこそが最大の功績だ、という視点から語ることにします。

 あまり語られていませんが、山内氏こそが「手のひらの中にコンピューターを持ち込む」ことを誰よりも早く実践し、一般化した、世界初の人物だと考えるからです。

1989年発売のゲームボーイ。写真は著者が所有するカラー版。これによって「持ち運べるゲーム機」は全世界で普及し、外出先でゲームを楽しむというプレイスタイルは一般化した。

任天堂の原点はゲーム&ウォッチにある

 任天堂が「持ち運べるゲーム機」を世界で初めてヒットさせたのは、1980年発売のことです。ファミコン発売の3年前ですね。

 それが、任天堂の原点ともいうべき「ゲーム&ウォッチ」です。

 ファミコンより3年前に発売された、この液晶画面を持つ携帯ゲーム機は世界的なブームを巻き起こし、全世界で4000万台を超える大ヒットを記録しました。これこそが「手のひらの中に、自分だけのゲーム画面がある」という、世界初のヒット商品です。

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「あまり語られていない「山内溥氏が世界に影響を与えたもの」」の著者

野安 ゆきお

野安 ゆきお(のやす・ゆきお)

ゲームジャーナリスト

ファミコン時代からゲーム業界に参加。1000本以上のソフトを体験し、100冊を超えるゲーム攻略本制作に参加している。ゲーム雑誌編集部、編集プロダクションを経て、現在はフリーランスとして活動中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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