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ヒトラーからザハまで、5分で読む五輪建築史

構造表現主義からエコ表現主義へ急転換

2013年9月26日(木)

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 前回は2008年の北京五輪で建設された競技施設についてあれこれ書いたが、今回は戦前のベルリン五輪から昨年行われたロンドン五輪まで、五輪建築の歴史をざっくり振り返ってみたいと思う。

 オリンピックを国威発揚の場として意識的に活用したのは、ヒトラーが最初だとされる。そうしたこともあって、ヒトラーが指揮した1936年のベルリン五輪は悪く言われることが多い。しかし、このときメーンスタジアムとして造られた「ベルリン・オリンピア・スタジアム」は、競技施設の名作だ。

 何しろ、1936年の五輪のために建てられた競技施設が、何度かの改修を経て、今も現役で使われているということがすごい。築約80年である。1974年のサッカーワールドカップ大会でも使われ、2006年の同大会でも使われた。2009年の世界陸上もここで行われた。ウサイン・ボルトが100メートル9.58秒を出したのもこの競技場だ。

(イラスト:宮沢 洋、以下同)

 完成当時は10万人を収容できたという大規模競技場だ。ヒトラーと建築家アルベルト・シュペーアによるベルリン改造構想「ゲルマニア」の1つとして計画されたといわれる。

 建物の設計はシュペーアではなく、ベルナー・マルヒ。外観は、古代ギリシアやローマの建築を模した新古典主義風で、入り口近くには2本の塔がシンボリックに建つ。外から見ると、ヒトラー時代の復古主義の名残も感じさせる。

 しかし、スタジアム内の印象は全く違う。客席部分には当初、屋根がなかったが、2006年のワールドカップ大会のために約4年の工事期間を経てリング状の屋根が加えられ、機能性が格段に高まった。

 約7万5000席の観客席は全席屋根付き。屋根はシンプルながら軽快さを感じさせるデザインで、競技場内を見渡すと、とても戦前に建てられた施設とは思えない。改修設計はドイツのフォン・ゲルカンが中心となった。

 最初から名建築だったというよりも、時間をかけて名建築に育った好例だ。前回、「コスト削減で新国立競技場の開閉屋根がなくならないか不安だ」というようなことを書いたが、一度に無理せず、時間をかけて育てていくという方法もあるのかもしれない。もちろん、スタジアムとして使いやすい前提での話だが……。

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「ヒトラーからザハまで、5分で読む五輪建築史」の著者

宮沢 洋

宮沢 洋(みやざわ・ひろし)

日経アーキテクチュア副編集長

1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、日経BP社入社。日経アーキテクチュア編集部に配属。以来、建築一筋。現在は日経アーキテクチュアにて「建築巡礼/プレモダン編」を連載中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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