• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「現場に戻れ!」目を覚ました銀行のキツイひとこと

つまずきから立ち上がった長野のイチゴ農家

2014年1月31日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 飛躍に見えて、実は足元がおろそかになっていることがある。企業経営者が最も戒めるべきことだろう。とりわけ農業は身近にお手本が少ないだけに、そうしたワナに陥るリスクがある。以下は、自らがかつて味わった苦い教訓を胸に、事業に向き合う農業者の話だ。

イチゴと向き合うことを決意した倉本浩行氏

 「倉本さん、あなた本業に戻らないとだめだ」。長野県小諸市でイチゴの大規模栽培ハウスを経営する倉本浩行は、長年取引のあった地方銀行から2010年に言われた一言をいまも思い出す。そのころ会社は傾きかけていた。

父とともにイチゴの栽培に飛び込む

 倉本がイチゴの栽培を始めたのは今から15年前。小諸市が農園とセットの温泉施設の建設を計画し、希望者を募った。電機メーカーに勤めていた倉本の父親にとって就農は長年の夢だった。

 「これからは農業だ」という思いを捨てきれずにいた父親は当時、大学生だった倉本とともに、自宅で市役所の役人から説明を受けた。「おまえがやるなら、おれもやる。どうする」。父からそう聞かれた倉本は「やる」と即答した。サラリーマンにはならず、自分で何か事業をやりたいと考えていたからだ。

 まずはイチゴの栽培について学ぶことから始めよう。そう考えた倉本親子は小諸市や長野県、地元の農協の関係者たちとバスをチャーターし、千葉県にある農業試験場へと向かった。だが、そこでもらったアドバイスは「計画から積極的に撤退しなさい」。そんな簡単なものではないという助言だったが、全員ショックを受けて小諸市へと戻った。

 「おれはやめる」「アルバイト程度ならやる」。はじめは倉本親子以外に周囲の農家も計画に加わっていたが、少しずつ腰が引け始めた。だが2人に「撤退」という選択肢はなかった。すでに父は就農の決意を固めて会社を辞める手続きを始め、倉本も大学を退学していたからだ。いまは有数の大型栽培施設となった「こもろ布引いちご園」はこうして素人の親子中心に1999年4月にスタートした。

 県がつくった30ページの栽培マニュアルを頼りに、400株の苗を植えてみた。だが、そう簡単にうまくいくはずがない。翌年のゴールデンウイークに両親がオランダに視察旅行に行った際、うっかり水をやるのを怠った。倉本がハウスに入ると、イチゴの株がぐったりとしおれていた。「まずい」。あわてて水をやると、幸いイチゴは復活した。

コメント0

「ニッポン農業生き残りのヒント」のバックナンバー

一覧

「「現場に戻れ!」目を覚ました銀行のキツイひとこと」の著者

吉田 忠則

吉田 忠則(よしだ・ただのり)

日本経済新聞社編集委員

1989年京大卒、同年日本経済新聞社入社。流通、農政、行政改革、保険会社、中国経済などの取材を経て2007年より現職。2003年に「生保予定利率下げ問題」の一連の報道で新聞協会賞受賞。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

人々が働きたいという会社になるには 「働きやすさ」と「働きがい」、この2つが必要だ。

川野 幸夫 ヤオコー会長