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人は「生きてきた」のではない、「生かされてきた」のだ

近くて遠い未来、「老い」を今から考える

2014年3月3日(月)

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 みなさん、こんにちは。月に一度の書評コラムです。3月は卒業の季節でもあります。それまでの自分の仕事の棚卸しをしたり、役割が変わったり、職場が変わったりする人もいるでしょう。中には、何らかの人生の区切りを迎えようとしている読者の方もいらっしゃるかもしれません。

 今月のテーマは、「老い」です。

 ところで、「老い」という言葉からみなさんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。人は誰でも老います。老いを人生の大前提として考える時には、まず人間をはじめ動物は、必ず死ぬ、その宿命を超えることはできないということを踏まえて考えたいものです。

 ですから、哲学であるとか人生であるとか、難しい話をする前に、「動物にとって老いるとはどういうことか」という基本的な下部構造を理解しなければなりません。

 動物は、次の世代のためにひたすら、生き続けているのです。サケなどもそうですが、子供を生んだらまもなく死ぬような動物もいます。そうしたごく当たり前のことを生物学の視点から丁寧に書いたのが、以前も少子化がテーマの時にご紹介したことのある本川達雄さんの『生物学的文明論』でした。

高齢者は次世代のために生かされている

 人生は50年でもいいのに、なぜ60歳、70歳、80歳まで生きるのだと、悪口を言う人がいました。その人に聞くと、それは眼鏡と歯科医のせいであるといいます。しかし歯科医や眼鏡店がない未開社会でもおじいさんやおばあさんは生きていますし、とても大切にされている場合もあります。

 それは、おじいさんやおばあさんが子育てをはじめ様々な生きるための知恵やノウハウを授けてくれるので、次の世代にバトンタッチしやすいと考えられているからです。そう考えると、破綻した企業のOBが企業年金の減額を拒否したとか、医療費を2割負担に増やすことに抵抗している人がいるといった話が聞こえてくると、わがままが過ぎるのではないかと考えざるを得ません。

 高齢者は、その存在が次世代のためになるからこそ、生かされているのです。老いたら、自分たちのエゴは忘れなければいけない。そうしたことを様々な角度からじわじわ痛感させられる一冊が、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの大作、『老い』です。

 ボーヴォワールはフランスの哲学者サルトルの事実上の妻で、現代風に言えば事実婚のパートナーです。『第二の性』が一番有名ですが、『老い』も大変な名著です。新装版が昨年発行されたので、今読んでみるのはタイミングとしても良いと思います。

 この本は上巻と下巻で構成されているのですが、まず上巻では「老い」を外側から観察します。まずはヒポクラテスの時代までさかのぼり、医学的・生物学的に老いがどう考えられてきたかをたどります。そして、様々な未開社会の慣習などにも立ち入り、進化の過程の中で社会的に老いがどう扱われ、高齢者の存在がどうみなされてきたかを検証します。

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「人は「生きてきた」のではない、「生かされてきた」のだ」の著者

出口 治明

出口 治明(でぐち・はるあき)

ライフネット生命保険会長兼CEO

1948年生まれ。京都大学を卒業後、日本生命保険に入社。同社を退職後、2006年にネットライフ企画設立、代表取締役就任。2008年にライフネット生命保険に社名変更。2013年6月より現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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