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箱根で2番目に古い旅館が、徹底した数値管理で生産性改革

箱根で旅館を8軒経営する「一の湯」の小川晴也社長(前編)

2014年4月24日(木)

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箱根・塔ノ沢にある一の湯本館。大正時代に建設された木造4階建ての数寄屋造りだ

 一の湯は、箱根で2番目に古い老舗旅館である。

 創業は寛永7年(1630年)で、江戸末期の浮世絵師である安藤広重の「箱根七湯」の中にも登場する。塔ノ沢に現在ある一の湯本館の施設は、大正時代に建設された木造4階建ての数寄屋造りで、登録有形文化財にも指定されている。

 旅館として長い歴史を持つ一の湯であるが、今は「気楽」をコンセプトに、箱根地域で低価格に宿泊できる8軒の小型旅館をチェーン展開している。

 首都圏からの宿泊客がこれまでの主体あったが、近年は特にアジア・欧米を中心とする海外からの宿泊客も多い。経営が一見順調のように見えるこの一の湯だが、高度成長期の過大投資が仇となった。また塔の沢温泉が狭い谷底にある立地から、バブル経済期に宿泊施設を大型化することができなかった。さらに、古い施設と時代に合わないサービス内容から、バブル経済期でさえ経営が厳しい状況が続いた。

 一の湯のような老舗旅館は全国に多くあるが、昭和の時代になって、事業として旅館を始めたところも非常に多い。健康保険制度の普及や一次産業の割合の低下から、それまであった湯治場のニーズが減り、その多くが温泉旅館へと転換していった。また、鉄道や電話網の普及、国民全体の所得の向上から、旅行自体が大衆化し、それが高度成長期に観光ブームとなり、温泉地を中心に旅館の建設ラッシュが全国に起こった。

 旅館数のピークは観光ブームの直後の1970年代に迎える。それまで右肩上がりで増え続けたが、8万軒強で頭打ちになった。1980年の8万3000軒を最後に右肩下がりで減り続け、今ではその数が4万5000軒を切るところまでになってしまった。30年かけて旅館数がほぼ半分になったのである。

 この旅館数減の原因は複合的である。当初は、温泉地を中心に旅館が団体旅行客向けに大型化し、それに対応しきれなかった小型旅館が淘汰された。街道沿いにあった商人宿がビジネスホテルとなった。この時期はホテル数が大きく伸びることとなった。

 近年の旅館数の減少は、経済の低迷、団体旅行から個人旅行への転換、少子高齢化による旅行客数の減少等から、旅館の低価格競争を激化させた。施設の老朽化や後継者問題も重なって、これらに耐えきれなくなった旅館の倒産や廃業が多くなり始めている。

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「箱根で2番目に古い旅館が、徹底した数値管理で生産性改革」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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