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“ルールがない”会社が、成長めざし制度改革

北九州市の老舗食品会社「橋本食品」の橋本和宏社長(前編)

2014年5月15日(木)

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橋本食品が展開する店舗の模様。食品スーパーなどのテナントとして食肉や惣菜、焼鳥などを販売している

 橋本食品は、北九州市の門司港の近くに本社を置く老舗の小売企業だ。今は九州から中国地方にかけ、食品スーパー内のテナントとして、食肉や惣菜、焼鳥などを販売する小売店を多店舗展開している。

 橋本食品はどこにでもある地方の家族経営の中小企業で、いい意味で和やかな雰囲気を持ち続けていた。だが、企業としてあるべき様々な制度が未整備で、日々の業務に様々な支障をきたしていた。歴代の社長は常に新しい業態を開発し、企業としては成長を続けていたが、ここにきて成長の分岐点に差し掛かってきた。4代目となる橋本和宏社長は、企業経営をきちんとできる制度整備を取り組み始めた。

 今回は、橋本食品の橋本和宏社長と、会社の制度整備の実務を担当する岩満公久常務と門村薫係長に話を聞いた。

橋本食品の橋本和宏社長

◇     ◇     ◇

1903年に創業後、代替わりごとに新たなビジネスに挑戦

橋本:橋本食品の前身は、明治36年(1903年)に門司港のすぐ近くの地で創業しました。当時の詳しい記録は残っていないのですが、自分の曽祖父に当る橋本留三郎が牛鍋屋をやっていたとのことです。今となっては言い伝えしか残っていないのですが、留三郎は非常に商魂がたくましく、同じ時期に食肉の販売や冷蔵庫用の氷を北海道から船で持ってきて卸す商売もしていました。

 留三郎に子供がいなかったことから、昭和8年(1933年)になって、義甥であった自分の祖父にあたる栄が養子として2代目を継ぎ、新たな事業として外国船舶への食品の納入と海外牛肉の輸入、そして下関で食肉店の営業も始めました。1961年になって、個人としての事業から会社組織に変え、株式会社橋本商店が誕生し、栄がその社長に就任しました。

 1971年になると、3代目の社長となる自分の父親の誠一が大学を卒業して入社しました。73年に、当時ではまだ珍しかった食肉のセルフ販売を開始し、さらに77年には、工場直売で商品を売る「新門司びっくり市」を始め、このときに社名を橋本食品株式会社に変更しました。

 81年に父・誠一が正式に社長に就任し、84年になると食肉販売とともに今の会社の事業の2本柱の一つとなっている惣菜店のチェーン展開を始めました。このように会社の歴史を見てきますと、創業者から2代目、そして3代目へ経営が引き継がれるたびに大きなエポックメイキングなことがありました。自分達の会社の中に、何か新しいことにチャレンジするという遺伝子があるのかもしれません。

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「“ルールがない”会社が、成長めざし制度改革」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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