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四面楚歌の女将が挑んだ旅館の労働改革

創業明治6年、会津の老舗旅館「向瀧」(前編)

2014年5月29日(木)

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向瀧は、平成8年に、文化庁・登録有形文化財に登録された。創業は明治6年と古い

 向瀧は、福島県会津東山温泉にある24室の小さな老舗旅館だ。近年はテレビや雑誌などでもたびたび取り上げられ、口コミサイトでも高い評価を得ている。温泉好き以外でも、この旅館の名前を聞いたことがある人も多いのではないかと思う。

 向瀧の歴史は、1873年に上級武士向けの指定保養所「きつね湯」を会津藩から委ねられたところから始まっている。そこから平田家が旅館として営業を開始した。温泉施設として長い歴史を持つ向瀧の施設は、美しい木造建築で、1996年には旅館として全国で第1号の有形登録文化財に指定された。

 一見すると向瀧の旅館経営は順調のように見える。バブル経済が崩壊する1991年まで売上は右肩上がりで増え続けていたが、そこから売上は急激に減り始め、最終的にそれが10年かけて半分以下になってしまった。この時期はどこの温泉地でも旅館の多くが大型施設化を進め、団体を中心とする宿泊客を大量に受け入れられるようにしていった。

 この時期の向瀧は、木造建築であったこと、また全ての部屋の間取りが異なり、旅行代理店に団体客を送客してもらうことができなかった。多くの旅館が宿泊客を大規模に受け入れて拡大成長している時期に、その旅行代理店から見放され、経営が厳しい時期が続くこととなった。

向瀧の平田裕一社長

 6代目平田裕一社長は、1991年に後継者として会津若松に戻り、悪戦苦闘しながら改善を少しずつ積み重ねていた。2002年に世代交代すると、負け組旅館から抜け出すために、“人”の働き方に注目した旅館の経営改革に本格的に取り組み始めた。そして、20年に及ぶ地道な改革の結果、急速に客足は戻り始め、会社として利益が出る体制が整うところまできた。今回は二人三脚で改革を進めてきた向瀧の平田裕一社長と真智子女将に話を聞いた。

◇     ◇     ◇

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「四面楚歌の女将が挑んだ旅館の労働改革」の著者

内藤 耕

内藤 耕(ないとう・こう)

サービス産業革新推進機構代表理事

世界銀行グループ、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センターを経て現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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