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社会変革者を探し続ける男

アショカ創立メンバー、ビル・カーター氏(前編)

2014年7月8日(火)

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 社会の問題解決につながるアイデアを実現し、事業化していく社会起業家、チェンジメーカー。そんな社会起業家を探して社会の変革を加速しようとする市民組織、アショカのメンバーは、フェローを探して世界中を飛び回る。今回はアショカ創設者ビル・ドレイトンの右腕としてその面接にずっと携わってきたビル・カーターの半生を追う。

ビル・カーター(Bill Carter)
1946年アメリカ・ハワイ生まれ。米タフツ大学フレッチャー法律外交大学院で中国研究博士号。インドネシア政府顧問を経て、コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーでビル・ドレイトンと出会い、アショカ創設時から理事会メンバーに。米環境庁(EPA)勤務の後、代替エネルギー発電会社を設立。約20年後に株式上場と共に売却し、「専業父親」に。2008年からはアショカの仕事に専念。アフリカ担当やアショカ・フェロー候補の発掘・面接で世界を飛び回る。(写真:渡邊奈々)

 ビル・カーターは、社会を変えられる人をいつも探している。社会をより良くするための斬新で、巨大なインパクトを生む仕組みを創りだす人。アイデアと意志のある人。例えば貧しすぎて銀行口座が開けない人たちが、手持ちの現金を郵便に預けられる仕組みのアイデア。例えば、より効果的な医療ケアの仕組みのアイデア。たとえば貧困地区でのコンピューター教育プログラムを実践する人。

 これぞと思う社会変革者を見いだすために、何日間もかけて相手の素顔を知ることが、カーターの役目だ。10時間以上にわたって面接し、とことん話を聞くのである。

 インタビューは、まずその人が生まれた時から始まる。幼い時に覚えていることは?そのときどんなことを感じたか?そして、青年期、成人期へと進む。「その人を知ることが、その人が何故どのように世界を変えて行くかを知ることに繋がる」と、34年間に1100人以上のインタビューをこなしたベテランインタビュアーは語る。

若いリーダーを育てた父を見て育つ

 アショカ理事として社会変革者を探して、世界を飛び回るカーターの「今」は、様々な民族や価値観が交差し共存し解け合う「異文化のとけあう鍋」、1946年のハワイで始まった。家族は地元ホノルルの慈善活動に深く関わり、父親は戦前から地元の公立高校の教師だった。

 ディベート部の監督でもあった。戦前のハワイでは経済的に独立し始めていた日系移民のコミュニティーがハワイの社会づくりに参加しつつあり、カーターの父親のもとにはそうした日系人コミュニティーのリーダーとなる若者たちが教え子として集まっていた。

 カーターが物心ついたころには、すでに地域のリーダーとなった元教え子たちがクリスマスになるとウィスキーのボトルを手にやってきて、恩師を囲んで楽しく談笑していた。そうやって、仕事で成功して地域のリーダーとなる若者たちが、幼いビルの回りには大勢いた。

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「社会変革者を探し続ける男」の著者

加藤 祐子

加藤 祐子(かとう・ゆうこ)

翻訳家・編集者

東京生まれ。英オックスフォード大学修士課程修了。朝日新聞記者、国連本部職員、米ニュースサイトの日本語版編集者を経て、2006年2月からgooニュース編集者。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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