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アドラー主義はブラック企業を超えた

一倉定とは何だったのか?

2014年8月12日(火)

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怒りの人、一倉定

 教室には怒号が響いていた。1000人を満員にした教室の檀上では、1人の怒れる白髪の小柄な男性が叫び続けていた。その男性は少しでも受講者が気を休めるとチョークを投げつける。緊張感が走り続ける会場。男性はおのれの人生を賭してきた理論を語るのをやめない。

 そのうち、その受講者の1人が立たされ、意見を述べさせられる。すると、その白髪の講師は、なんと受講者の顔をひっぱたく。さらに受講者は反発どころか、一礼をして着席する。

 これは宗教団体の集会における一幕ではない。経営コンサルタント一倉定(いちくらさだむ)氏の定期勉強会でのことだった。

 この名前を知らない読者もいるはずだ。しかし、そのあなたも「経営コンサルタント」なる職業は知っていると思う。この「経営コンサルタント」なる生業を、現在のイメージに作り上げたひとこそ、この一倉定氏(1918年4月~1999年3月)にほかならない。

 日本における経営コンサルタントは、氏がいなければ成り立たなかった。また氏は、そもそもこのような仕事が成り立つと証明した先人でもあった。

 もともとは気鋭の管理会計伝導者として世に出た氏は、そののちドラッカーとランチェスターに大胆な日本流解釈をほどこし、社長業専門のコンサルタントとして大成していく。日本のビジネス界に多大すぎる功績を残し、経営コンサルタントなる仕事を発明し、そして日本経済躍進に全霊をかけ貢献していった。5000社の赤字会社を再建した実務のひとで、いまだに氏の薫陶を受けたひとたちはその伝説を語り継ぐ――ものの、そのニッチさゆえに、広く知られぬまま鬼籍のひととなった。今回はこの一倉定氏を紹介したい。

 一倉定氏は、1918年4月群馬県前橋市に生まれ、99年3月に鬼籍のひととなった。前橋中学校卒業後に、中島飛行機株式会社の生産技術係長、富士機械製造の資材課長、日本能率協会のプロジェクトマネージャーなどを経て、経営コンサルタントとして独立した。

 今回、一倉定氏をとりあげるのは、夏休みなので本稿の趣旨をやや逸脱してみたかったことと、氏の発言の数々が現代におけるビジネス問題を解決するヒントにあふれているからでもある。

 氏は独立したコンサルタントとして、赤字企業を次々と再生していった。そして、日本経営合理化協会の半ば専属コンサルタントとして、全国各地を駆け回った。社長に対して、あまりに厳しく指導するさまは鬼にたとえられ、強烈な個性を放ち続けた。私は「宗教団体の集会における一幕ではない」と書いたものの、氏は自らのシンパを一倉「教」と呼び、現在でも各地で定期的に会合が開かれるほどだ。

 とはいえ、氏のことを知らないひとのために、まずいくつか氏の名言を紹介したいと思う。

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「アドラー主義はブラック企業を超えた」の著者

坂口 孝則

坂口 孝則(さかぐち・たかのり)

調達・購買コンサルタント

大阪大学経済学部卒業後、電機メーカー、自動車メーカーに勤務。原価企画、調達・購買、資材部門に従業。調達・購買関連書籍23冊を上梓。2010年、調達・購買コンサルタントとして独立。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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