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残るも地獄、去るも地獄

予備校にも「盛者必衰の理」

2014年9月29日(月)

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ある日突然、1枚の通知書が配られた(写真:スタジオキャスパー)

仙台予備校戦争

 杜の都の玄関、仙台駅東口から徒歩1分。予備校・代々木ゼミナールの7階建ての校舎がそびえ立つ。燕脂(えんじ)色の外観は瀟洒なマンションを思わせるが、築30年以上が経過し、綻びが目立ってきた。

 「SKY(駿台予備学校・河合塾・代々木ゼミナール)戦争」と呼ばれるバブル期の3大予備校のせめぎ合いを象徴するのがここ、仙台だ。

 仙台では1983年、代ゼミが先陣を切って進出。当時、東北最大規模を誇っていた地元の文理予備校が影響をモロに受け、生徒の多くが代ゼミに流出した。

 すると河合塾が文理予備校の吸収・合併に乗り出す。結局、文理予備校は内部分裂の憂き目にあい、最終的には河合塾の傘下に収まることで決着する。その混乱の中、1993年には駿台が代ゼミのわずか200mの距離に進出してきた。

 仙台の予備校を舞台にした情け容赦ない戦いは、勃発から30年が経過する今、ようやく1つの区切りを迎えようとしている。

ひっそりと静まり返る代ゼミ仙台校
代ゼミ近くに駿台が進出

 

 今年8月25日、代ゼミは全国27の校舎のうち、仙台校を含む20校の閉鎖を公にした。

 ここ仙台でも「駅前予備校」という地の利を得、90年代初頭までは、東北各県の生徒を集めた代ゼミ仙台校だったが、その後は次第に設備面で勝る駿台・河合塾に押されていったのは事実だ。

 代ゼミ仙台校で過去に教鞭を取っていた、ある講師はこう漏らす。「特に2000年以降、代ゼミはどんどん学生を減らしていった。絶頂期には数千人はいた受講生も、今ではその10分の1以下になっているんじゃないか」

 新学期が始まる9月初旬の夜、仙台校は最後の授業が終わっても、校舎から出てくる学生は数えるほどだった。7階建ての校舎を見上げれば3階と4階の一部の教室にしか明かりがついていない。

今年で決めなければ後がない

 自転車で仙台校に通う浪人生の谷口光(仮名、19歳)は、かつての代ゼミの栄光を知る由もない。谷口は9月1日、暗い気持ちで玄関ドアを開けた。1週間前、報道でこの校舎が今年度中に閉鎖することを知ったからだ。

 しかし、この日までに代ゼミ側からは一切の説明はない。校舎を見回しても今回の件に関する張り紙1つもない。職員からの説明もなかった。谷口に閉鎖を告げたのは、この日の講義を担当した講師だった。

 「講義の質はなんら変わるものではない。最後まで頑張って欲しい」。そう励まされた。谷口は国立大学を第1志望に据えている。「親がとても心配している。仮に今年ダメだった場合、次(2浪)を代ゼミではやれないという不安がよぎる。残念だけれど逆境をバネにして合格したい」――。

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「残るも地獄、去るも地獄」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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手嶋 龍一 作家・ジャーナリスト