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第3回:苦節十余年、事態一転、怒涛の快進撃が始まる

  • 仲森 智博

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2014年10月10日(金)

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赤崎勇・名城大学教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大学教授が2014年のノーベル物理学賞を受賞した。ここでは、中村氏が窒化ガリウム(GaN)系青色LEDの研究に着手し製品化にこぎ着けるまでの開発ストーリーを紹介した1995年1~3月当時の日経エレクトロニクスの記事を基に、2009年「日経テクノロジーオンライン」に掲載した記事を再掲載する。

高輝度青色発光ダイオード開発物語の第3回。第1回と第2回では、開発者の中村修二氏が入社してから、青色発光ダイオードの研究で最初の成果を出すまでを追った。今回は、開発が軌道に乗り始めてダイオードが光るまで。発光層となるGaN膜ができたころから開発は順調に進み始める。平滑なGaN膜の成長、続いてp型GaN膜の作製、そしてpn接合型の発光ダイオードの試作にこぎつけた。波に乗って半導体レーザもねらえるダブルヘテロ構造を標的にする。しかしそのとき、意外な障壁が行く手に現れた。

 高品位のGaN膜が突如できなくなって2カ月が経つ。装置の改造、特にガスの吹き出し方法の微調整が続く。しかし、天は見放したわけではなかった。1990年も暮れるころ、安定にGaN膜を成長させる条件が、手探りながらわかってくる(図1)。

図1 GaN膜の成長を再開
1990年9月以来約2カ月間、膜が成長できない状況が続いた。ガスの吹き出し角度などが微妙にずれると、とたんに膜が成長できなくなる。2カ月間の試行錯誤でやっと条件がつかめ始めた。1990年12月25日付の実験ノートから。

 最初に高品位GaN膜ができたのは、ほとんど奇跡だった。ほんの少しでも膜の成長条件が変わると、まるで膜ができなくなってしまう。このような厳しい条件下で偶然できた膜といえる。それでもできた。できたことが励みとなって、安定な膜成長条件を探り当てることに成功した。流れは中村氏に向いてきた。

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