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寺と僧侶が「完全消滅」した

数字でたどる宗教の系譜(下)

2015年1月21日(水)

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鹿児島市内を俯瞰しても寺の屋根はあまり見えない

 鹿児島市内を歩いて、どれだけの人がこのことに気づくだろうか。

 「寺が少ない」――。

 文化庁の『宗教年鑑』によれば、鹿児島県内の寺院数は489カ寺だ。例えば、鹿児島とほぼ同等の面積の山形県では1485カ寺、また広島県では1737カ寺である。

 鹿児島県の人口10万人に占める寺院数(寺院密度)は、29.1カ寺。全47都道府県中の順位で言えば、寺院数が42番目、寺院密度が44番目と、確かに低水準ではある。

廃仏毀釈が激しかった鹿児島県

 それには理由がある。

 「鹿児島と言えば、西郷隆盛や大久保利通など、明治維新を主導した偉人を輩出した土地柄で一見、華やかな印象があります。ですが当時、この地域が大きなタブーを犯したことは、県民ですらあまり知らない事実なのです。いわゆる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)です。今でもその後遺症を、鹿児島は引きずっています」

 こう語るのは鹿児島県民俗学会会員の名越護さん(72歳)だ。

 廃仏毀釈とは、幕末から明治9年頃にかけて全国的に実施された仏教弾圧のこと。多くの寺院が廃寺になり、仏像などが破壊された。僧侶は還俗(げんぞく)させられた。

 特に鹿児島県は、廃仏毀釈が最も激しかった地域として知られている。

 鹿児島県史によると、県内には江戸末期まで寺院が1066カ寺あり、僧侶が2964人いた。ところが1874年(明治7年)には双方ともにゼロになった。にわかには信じ難いことだ。廃仏毀釈が終わり、1876年(明治9年)に鹿児島県に「信教の自由令」が出されるまで、廃仏毀釈は続いた。

 廃仏毀釈が収まり、一部の寺院が復興し、また浄土真宗が鹿児島県における布教活動に力を入れたことから、現在では数の上では廃仏毀釈以前の半分の水準まで寺院数は回復してきている。

 そうした歴史的経緯があり、鹿児島県内には古い寺は存在しない。真新しい鉄筋コンクリート造りの伽藍ばかりが目立つ。

 鹿児島の街を歩くと、「○○寺跡」という看板が目につく。廃仏毀釈で廃寺になったことの証しだ。その寺院跡を訪ねてみても、そこには寺の跡形もない。共同墓地になっていることが多い。

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「寺と僧侶が「完全消滅」した」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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