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古森重隆の「逆風下の作法」

リストラの鉄則は速く、果断に(第2回)

  • 日経ビジネス編集部

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2015年1月20日(火)

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 長らく続いたデフレからの脱却とともに、円高から円安へ、原油高から原油安へと、経済環境ではパラダイム転換が起こりつつある。さらに企業経営へと目を向ければ、「IoT(Internet of Things=モノのインターネット)」をキーワードに、「第4次産業革命」の波が押し寄せている。

 こうした大転換期には、過去の慣習や成功体験に捉われず、事業や企業文化を大胆に変革することが求められる。とはいえ、実際の変革には痛みを伴うことも少なくない。リーダーの覚悟や、現場の当事者意識が重要になる。事業構造改革、グローバル化の進展、新技術開発など、様々な分野で会社の変革を促し、成果を挙げてきた経営者たちが“講師”となって、経営論を語る。

(2013年3月11日号より)

コア事業の蒸発に直面したリーダーは2つの手を打った。写真事業に関わる固定費の削減と新たな成長戦略の策定だ。技術の棚卸しで「見える化」を推進、新市場を探り当てた。

(写真:村田 和聡)
古森 重隆(こもり・しげたか)氏
1939年、旧満州国生まれ。63年東京大学経済学部卒業、富士写真フイルムに入社。2003年6月に代表取締役CEOに就任すると、写真フィルムに依存した事業構造の大転換を進めた。

 第2回の今回は、コア事業が蒸発する中で私が何をしたのか、それを具体的に見ていきましょう。

 私が富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)の社長に就任した2000年は、カラーフィルムの総需要がピークを迎えた年でした。

 その当時、デジタル化に対する危機感は社内で共有されていましたが、写真フィルム事業が利益の柱であったことに変わりありません。「何とかなるだろう」という雰囲気も会社には残っていたように思います。

 もっとも、私は「大戦前夜」という気分でした。

 デジタル化の脅威は1980年代から語られており、富士フイルムもデジタル技術の自社開発やアナログ技術のさらなる進化、新規事業への進出など様々な対応策を取ってきました。

 事実、世界で初めてX線写真のデジタル化を可能にしたデジタルX線画像診断装置の販売を83年に始めましたし*1、88年には世界初のフルデジタルカメラも開発しました*2

*1=従来はX線フィルムにX線像を記録していたが、1983年に発売したデジタルX線画像診断装置で医療用画像診断装置の新たな領域を切り開いた。まず、高感度にX線のエネルギーを蓄積する特殊プレートにX線像を記録、そのX線像にレーザー光を照射して読み出し、電気信号に変える――という仕組みだった。なお、医療用デジタルX線画像診断システムは世界トップシェアを誇る。
*2=撮影画像の記録まで含めたフルデジタルのカメラを富士フイルムは世界で初めて開発した。

 既存の写真フィルムも、デジタルが追随できない領域を目指そうと、高感度フィルムを開発したり、解像力を向上させたり、技術革新を続けました。

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