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被災地から来た「おイモのおじちゃん」

園児がくれた「生きる活力」

2015年1月23日(金)

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 農業には人と人をつなぐ力がある。そしてその出会いが、生きる活力を与えてくれることもある。今回は、東日本大震災で田畑を失った高齢の農家と、都内の保育園児たちの交流のエピソードを紹介したい。

 「イオンを歩いていたら、小さい子どもに『トヨシマさ~ん』って呼ばれたんだ。79歳の豊島力はうれしそうにそう話す。豊島が「なんで知ってるの」と聞くと、子どもは「おイモ掘りに行ったよ」と答えたという。

「雑草が茂る田畑を見て涙が出た」と話す豊島力さん(東京都江東区の東雲住宅)

 豊島は、東日本大震災と原発事故で甚大な被害を受けた福島県浪江町で農業をしていた。コメを中心にサツマイモや白菜もつくる複合経営だった。「コメの収量はみんな1反(10アール)で540キロ程度だけど、おれは600キロ。多いときは640キロとれたね」。

 父親は典型的な昔ながらの農家だった。豊島への指導方針は「自分で考えて覚えろ」。豊島もその考えを受けついだ。だから、豊島に多収の技術の秘訣をたずねると、「努力です。自己流で成功したんです」と言葉少なく答えた。

震災から2年、東雲で再び土と向き合う

 「いやあ、すごかったぞ」。震災の日のことは、こんな言葉から語り始めた。車庫でスタッドレスタイヤの交換をしていると、「ゴオッ」という地響きとともに揺れがやってきた。家の瓦が落ちた。浪江町は放射性物質の累積量が大きく、計画的避難区域に指定された。

 震災後はまず妹が住む東京の昭島市で1カ月過ごし、そのあと、東京都江東区の公務員宿舎「東雲住宅」にほかの被災者たちと移り住んだ。15歳のときから続けてきた農家としての暮らしは、原発事故でうばわれた。福島の多くの生産者を襲った悲劇だ。

 豊島にもう一度、土と向き合うチャンスがめぐってきたのはその2年後だ。伏線は2つあった。1つは、東雲住宅の近くにある東雲保育園と被災者の交流の集いが始まったことだ。被災者たちは敬老の日や正月に保育園に招かれた。もう1つは、東雲保育園に隣接する東雲第二保育園が夢の島区民農園で畑を借りることを計画していたことだ。

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「被災地から来た「おイモのおじちゃん」」の著者

吉田 忠則

吉田 忠則(よしだ・ただのり)

日本経済新聞社編集委員

1989年京大卒、同年日本経済新聞社入社。流通、農政、行政改革、保険会社、中国経済などの取材を経て2007年より現職。2003年に「生保予定利率下げ問題」の一連の報道で新聞協会賞受賞。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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