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福沢諭吉先生のミイラから死後を考える

漂流する墓(上)

2015年2月10日(火)

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最初の福沢諭吉の墓所にある常光寺の碑。諭吉の改葬について書かれている

 福沢諭吉先生がミイラになって現わる――。

 にわかに信じ難いこの話が取り沙汰されたのは、今から38年前だ。

 ミイラが発見された場所は東京都品川区上大崎の常光寺(浄土宗)である。諭吉の死から数えて76年後、なぜ、諭吉が掘り起こされたのか。

 これから紹介するエピソードは、考古学や解剖学などの分野の話ではない。今後、多くの団塊世代が抱えるであろう「お墓にまつわる悩ましい問題」を先取りした1つの事例として見ていきたい。

土葬された諭吉

 福沢諭吉は1901年(明治34年)2月3日に脳出血が原因で死去したと伝えられている。享年68歳だった。葬儀は、福沢家の菩提寺である麻布十番の善福寺(浄土真宗本願寺派)で執り行われた。

 通常、「葬儀」と「埋葬」が切り離されて、別々の寺で行われることはない。

 しかし、諭吉は生前、散歩の際、常光寺(※)周辺の眺望が良かったことから、「死んだらここに」と、常光寺の墓地を手に入れていた。常光寺は善福寺からは約2.5km離れている。

 最近では、寺檀関係が煩わしいと考える人は、「好きな場所」に「好きな埋葬法」を求めるケースが増えているが、地縁・血縁がしっかりと根付いていた明治期に、気ままに墓を求めたのはかなり珍しいケースではなかっただろうか。往年の諭吉がなかなかの自由人であったことが読み取れる。

※ 本当は常光寺の隣にあった、無住の本願寺(浄土宗)の墓地に埋葬されたがその後、近辺の寺院再編によって墓地が常光寺に編入された

宗旨の異なる寺に埋葬

 ところが、自分の好きな場所に墓を求めたことが諭吉の死後、思いもよらない混乱を引き起こす。

 先に述べたように福沢家の宗旨は浄土真宗であった。ところが埋葬された寺は浄土宗だ。両宗は同じ浄土系とはいえ、経や教義、仏事の作法などが異なる。戒名の付け方も異なる。

 他宗の寺同士が仏事で連携し合うということも、よほどの例外を除いてはあり得ない。浄土真宗の僧侶が、浄土宗の寺の敷地で経を上げるという、ちぐはぐなことにもなりかねない。

 また、親族にとってみれば墓参りの場所が複数にまたがるという面倒が生じる。将来的には、諭吉の子供や孫たちの、埋葬場所はどうするか、など、ややこしい話が次から次へと出てくる可能性がある。

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「福沢諭吉先生のミイラから死後を考える」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

日経おとなのOFF副編集長、浄土宗僧侶

京都市景観市民会議委員(2016年)、佛教文化学会会員。 1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、報知新聞社へ入社。2005年日経BP社に入社。日経ビジネス記者などを歴任。2016年4月より日経おとなのOFF副編集長。浄土宗僧侶の顔も持つ。正覚寺副住職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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